エーリヒ・ケストナー『ケストナーの終戦日記、ベルリン最後の日』1962,「飛ぶ教室」、「二人のロッテ」の作者の描くナチスの暴走と最後

ケストナーの『飛ぶ教室』、『二人のロッテ』はあまりに有
名」な児童文学作品だ、私は『飛ぶ教室』というから本当に
教室が空を飛んでいく話かとばかり思っていたが、『二人の
ロッテ』はロッテ創業者がこの作品が好きで社名をそこから、
なのだが、その作者が描く、『ベルリン最後の日』は、「エミ
ールと少年隊」も著名すぎる、1951年に西独ペンクラブ会長に
就任だが、・・・・・・
最初は新潮社から、ずっと後、福武文庫で再刊している。
ケストナーはこの「日記」についてこう述べている。
「このメモは、自分の記憶のための発火物質、-回転する火
の車輪によって車裂きにされた人間を、遠く長く見えるように
する、すさまじい花火の材料とする予定だった。言い換えると、
私は一大長編を書くつもりでいた。だがそれは書かなかった」
要はケストナー自身にそれを書く抜くほどの力量がなく、さ
らに1933年のナチスの発生から1945年の崩壊までの歴史が小説
になり得ると思えなかった、ということが理由だという。
されど、この本はナチス、第三帝国の倒される中での「人間喜
劇」、さらに実は「非人間喜劇」を描いている点で、小説以上の
迫力を醸し出す。
1945年5月8日にナチスドイツは降伏した。日記の前半は、その
三か月前の2月7日から3月9日までのベルリンで書かれている。
敗戦寸前のベルリンの混乱、散々な市民生活、ナチスの相も変ら
ぬ愚かな宣伝など、ケストナーの鋭い描写、辛辣で厳しい批判が
展開される。
ケストナー自身はナチスから「歓迎されざる作家」として一般
小説の執筆は禁止されていた。だがその中で生きていかねばなら
ない。その怒りをこうたたきつけているのだ
「昨日、ゲッペルスはこう宣言した。-我々が戦争に負けたと
すれば、歴史の女神は売春婦だ、と。そういって彼は、女神は
売春婦ではないから、我々は戦争に勝つと証明しようとしたのか」
ベルリン攻撃はソ連に任された。ソ連軍が刻一刻とベルリンに
近づく、ナチの親衛隊はその前に反ナチの市民を大量殺戮しよう
と計画する。友人がケストナーもそのリストに入っている、と警
告した。だが官憲から通行手形はもらえない彼は移動もできない。
「私はハエトリガミには貼りついたハエ同然だ」ベルリン最後の
日の日記はこの言葉で終わっている。
でも誰かがハエを剝がしてくれた、だからチロルに彼は避難し
たのだ。後半はマイルホーフェンという町から見たドイツ最後の
日である。ナチスの降伏した5月8日、連合軍の質問に答えたも
のだが、
「あなた方の云うことは正しいだろう。だが、私たちに向かっ
て最初の石を振りあげる権利をあなた方は持っていない。石はあ
なた方に属していない」別にドイツ人の責任逃れで言ったわけで
はないだろう、
状況は全く絶望的だが、根底は自由主義、ヒューマニズムだか
ら希望がある、筆致が暗くない、と思う。
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