「死んで生きよ」(私だって何度も死んだ人間だよ「白昼の死角」より)

高木彬光さんの社会派推理小説「白昼の死角」だが1959年
から1960年まで「週刊スリラー」連載、1978年くらいだった
か、映画化されて話題になった、がその映画化は内容が本当
にひどかった。これを原作者が納得したのだろうか。
アプレ犯罪の代表とも云われた、光クラブ、その残党とな
った鶴岡七郎による詐欺犯罪を犯罪者側から描くという、一
種の倒錯的推理小説である。この小説の序説に、作者主人公
の出会いが述べられている。そこで鶴岡七郎は「松本清張の
作品の、手形パクリ詐欺は児戯のようなものだ」と言い放っ
て作者を驚かせる、実はこの序章のとおり、モデルは存在し
ている。いつか週刊誌が取材していた、「高木彬光さんは法
学部を出ておられないので、もう少し法律に精通していたら」
とか云っていた記憶がある。
私はこの「白昼の死角」を読んで最も印象に残った部分、は
主人公、鶴岡七郎が仲間の一人と連れ立ってその前年、高額所
得全国トップになったとかいうある高利貸しを訪れる、なにか
有意義な秘訣が聞けないかと、「太陽クラブ(光クラブをこの
作品ではこういう)」崩壊後、生きる道を定めかねて、の心境
だった。
手元にいま本がないので記憶を辿るのみだが
鶴岡七郎「私を雇ってください!」
A「いま新たに雇いいれる余裕はないね」
鶴岡「じゃ、タダ働きでも結構ですから」
A「バカもの!私が正当な労働への当然の報酬も払わない
人間だと思っているのか!」
・・・・・・
A「高利貸しほど金儲けから一番縁遠いものはない、身を捨て
てこそ浮かぶ瀬もあれ、死んで生きよ、だ。私も何度も死んだ
人間だよ。何度か死んだらうちにおいで」
高利貸しから高僧の顔がうかび出たのである。この作品中で最も
感動的な場面だと思う、エピローグで鶴岡七郎の作者への手紙がある
「死んで生きよ、あのA社長の言葉を今こそ心に留めて・・・・」
だが映画ではその場面が荒唐無稽なものになってしまっていた。
しかし「死んで生きよ」である。私はこの言葉を居間、心か噛み
しめている。さすがに来し方を振り返る、ボロボロで生きてきたが、
本当に、今生きているのが不思議である、まさに私も何度も死んだ
人間である、何度も死んで生きてきた結果が良かったか、と言われ
たら無論、散々だが、だが何度も死んで、なお生きる。その限界状
況の中にしか人生は存在しない、結果がどうこうではない。
これからも、この『死んで生きよ」を肝に銘じて生きる以外に
ない。
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