今、痛切に思い出すのは悪夢の公立中学時代

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 私は両親、家庭に全く恵まれなかったが、他方で地元の
学校にも恵まれなかった。私は小学校6年においてある意味、
人生の最高の幸福を得た。小学校、最高の人気者?あの以前
は暗かった私は、恐るべき変身、問題もあれど、明るさに
満ちた、全く人生での「例外年」であた。中学からは本格的
な勉強をしなければ、と小学6年からは努力目標を設定、卒
業前から、中1コースを購入し、中学での勉学に思いを馳せ
た。公立中学はひどい場所、わたしん入ったのは岡山県の矢
掛中学という、当時はまだ新制中学とい言う呼び名がなお多
く旧制の矢掛中学、つまり矢掛高校に対し、新中と呼ばれた。

 勉学に励もうと思って、何も知らず地元の公立中学に入っ
た私は、もう超ひたむきな努力を重ねた。だが家庭と学校、
両方に無惨に裏切られた。最低最悪の家庭の空気、子供を
全く配慮しない、両親、しかし私は中1では努力のかぎり、
当時は五段階評価は最終の三学期末だけだったが、英数国
理社はオール5を獲得した。さて、である。だがそこから
地獄が待っていた。不吉な予感は中1の12月、両親の醜悪
な汚らしい争いがあって大晦日から正月が台無しになった
ことである。だが3月にはオール5の通知表、だが中学に
入って非常のこまったことがあった。私は全く知りもしない
他の小学校から入った不良が私を目の敵にして日々、嫌がら
せを続けていたことだった。教師もそれに気を使うどころか、
暴力組織をバックにする、とある集落の子供には恐れをなし、
ひれ伏し、逆に私をいじめてくるほどの卑劣さだった。中2
になってその生徒の嫌がらせはさらにエスカレート、普通は
優等生には不良はあまり手を出さないものだが、私に弱点が
あったことも悪い方向に影響したようだが、とにかくその
生徒の卑劣さ、下劣さ、悪質さは筆舌に尽くせず、その生徒
に媚びさえ売る教師たちの、これも卑劣さ、臆病さには心底
、軽蔑の年を禁じ得なかった。

 ひたむきな努力は報われず中2は散々、だが中3で私
は何度も模擬テストで学年トップ、隣接の中学も合わせて
2位も何度か、だがどうしても1位になれない、名の中学の
生徒とは、だが不運に3年の12月に重病、さらに毎日新聞
の読書感想文では県で最優秀、病院から行った高校受験は
ニ番、一番はやはり他の中学のあの生徒、女子生徒だった。
登校できるまで回復していたのに母親が強引に学校に行かせ
ず、逆に余計な治療!をされて悪化、病院を出た。全ては
母親の悪判断、中3末期からの全盛の勢いは終わってしまっ
た、高校の休学は致命的、勉強のカンも狂ってしまった。
以後、劣等生の道である。あの常に上を行った女子生徒は
現役で京大医学部だからわたしがあのまま、あの学年と高校
で学んでいたら、と思うと、だが全ては失われてしまった。

 かくして、努力は報われず、全てが水泡に帰した、あの
矢掛中学での体験は何億円の賠償ものだろう。

この記事へのコメント

和田
2022年12月26日 17:47
私の場合は父親が肺結核から退院した次の年から年末母が午後12時を回って酒を浴びた父が帰宅して、無理矢理寝付いている私を叩き起こし「・・・・起き!内は正月も何もないんじゃ。」と言ってドンパチ、時には包丁沙汰になるのが毎年の慣例であった。