有吉佐和子『有田川』1964,紀州三部作、本当に紀州への愛着に満ちた作家

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 有吉佐和子のは映画化もされ、ドラマ化もされた『紀ノ川』
という著名な作品があるがそれ以外に、『有田川』、『日高
川』という作品がある。紀州三部作というそうで、すべて河川
の名前である。岡山県なら「三大河川」高梁川、旭川、吉井川
ということだろうか。『吉井川』という作品はある。『吉井川
』の主人公の若者と私は同じ名前です、と以前はよく言ったも
のだ。全然、面白くもなんともないが。『有田川』の舞台は、
有田、箕島である。高校野球を駆って席巻した箕島が舞台で、
その点でも何か懐かしさを感じるものはある。

 さて、れいによって紀州生まれの女の一生の物語である。その
主人公の千代は生まれ持っての数奇な運命を持っていた。明治
22年、1889年に有田川が氾濫したとき、川上から流されてきた
桐の箪笥の引き出しの中に、絹にくるまれて寝かされていたのを
、山持の津久野家に預けられ、夫婦の子として育てられた。

 10年後、妹の悠紀が生まれたとき、千代は自分が親の実の子
でないと知った。11歳の時、有田川が再び氾濫し、洪水にのま
れた千代は下流で寺のものに助けられる、だが素性は明かさなか
った。その後、近くの児島家の下女として住み込み、ミカンづく
リに精を出した。津久野家のものが噂を聞いて引き取ろうと来た
が、千代は帰らなかった。使いの者の立ち話を聞いて出生の秘密
を知った。

 25歳で箕島の蜜柑商の青年、川守貫太に見初められ、婚約。
貫太は鉄道の箕島迂回に抗議して県庁前で切腹を企てるほどの
血気盛んな性格だった。津久野家の義母が現れ、築野家に一旦
戻ってそこから嫁に行くと云ことにした。

 その後の千代の活躍がすごくて、亭主を説き伏せて蜜柑山を
手に入れ、子供も二人。時代は関東大震災、満州事変、対米開
戦などと目まぐるしく、次男は戦死、長男もサイパンから便り
がない。戦後、長男が突然帰ってきた。

 昭和28年、1953年7月18日、有田川が氾濫、未曽有の水害を
もたらした。だが千代は傲然と言い放つ「あれを見てみい、山
は泥をかぶってへん」確かに蜜柑山は氾濫、水害はどこ吹く風
であった。

 今、千代は75歳になり、貫太は83歳、地域で押しも押されぬ
誰もが慕う人物である、・・・・・というのだが。

 紀ノ川、有田川、日高川、よくそれぞれ別々の女性を御存じ
だと感心させられる。蜜柑に託して有田川、有田、箕島などへ
の愛着がよく出ている。いたって甘美な追憶めいた記述で、あ
れこれ衣裳、着付け、家具調度品、食べ物、など有吉さんの好
身がたっぷり織り込まれていて、まさに女性の作品ということ
である。この作品を好むかどうか、それは大きく分かれそうだ
が、いかにも有吉さんらしい作品である。





























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