倉敷東中3年の梶谷くん、11月13日から不明、40日以上、極寒の冬になった

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 それにしても11月13日、午後2時半ころ、自宅での姿、その
後、自転車で倉敷駅に、そこから山陽線でJRの三原駅に、三原
駅近くの防犯カメラに姿が写っていた。翌日、11月14日、尾道
商店街で梶谷くんのスマホなどが置かれていた。

 では山陽線で尾道にまず行って、尾道にスマホを置いて、
その後三原にか、三原から尾道に戻ったのか、である。これ
は尾道にまず下車、その後、三原に行ったと思われる。

 で、失踪の理由だが、よくわからない。なにか理由はあるに
せよ、それで何も絶対失踪しなければならない理由はないだろう。
修学旅行でか、しまなみ海道の自転車に乗ったのが楽しかったと
いう話は伝わっている。なら尾道で、と思うが、合点がいかない
のが、なぜ三原かである。四国に渡るなら尾道である。というよ
ろ岡山が早道だが、・・・・・・高知を検索していたのを失踪前
に見た生徒がいるそうで、高知へ?なら尾道でなければいけない
が、しまなみ街道は尾道から今治である。高知に行くには迂遠で
ある。

 だがなぜ三原、あまり全国的には知名度がない、といえる。尾
道の驚異的な知名度の高さと比べたら皆無である。アイドルの、
奥田圭子とか坂上敏江、また県立三原高校は女子体操に伝統があ
り、あの池田敬子さんも三原の出身である、・・・・・なんて、
あまり知られてもいなだろう。三原からどこへ?それが問題であ
る。三原は交通の要所では全然ない。

 三原からフェリーは島へ行くルートが多い、四国に渡るフェリー
はないと思う。もう山陽本線しかない。三原から何処かへ?目撃も
防犯カメラ撮影もその後はない。一度尾道で下車、スマホなどを尾
道に置いている、というのが妙な予感がする。プチ家でならスマホ
は捨てない。スマホを捨てることはもう、戻らない、という意味に
受け取るべべきか。

 11月13日はまだ寒くはなかった。だからサンダル、半袖という軽
装である。・・・・・・三原から、杳としてその姿は消えている。

 私の祖母、母の母親だが、神戸の楠町に一家で住んでいた。そこ
へ祖母の故郷、実家のある新山村から祖母の弟、母親も神戸に来て
同居していた。祖父、母の父親は異常性格、粗暴で、その母の弟に
激し暴力を振るった。その前に祖母の母親も亡くなっていた。自分
母親も亡くなり、姉の亭主からは激しく殴られた。楠町の町内会長
さんの家にしばらく引き取られていた。で夏の暑い日、町内会長さ
んの話では祖母の弟は浴衣で下駄を履いて夕方ふっと町内会長さん
のいを出ていった。s,昭和12年くらいだろうか。祖母の弟は杳と
してそれ以来、誰も姿を見ない。戦前で戦争は、日中戦争は始まっ
ていたから徴兵は徹底して行う。行方不明といって逃亡では、とも
疑われ、徹底して探索されるが全く手がかりがなかった。

 戦後、昭和30年すぎか、母が矢掛町の近所の横田電気店の奥さん
と今の倉敷市児島の占いをやっている婆さんの家を訪れた。その
横田電気の奥さんは子供が出来ないので占ってもらう、ということ
だった。

 でその占い婆さん、ふと急に振り返り、母の顔を見て「ヒデオさん
という方をご存知かな、出てきておられますが」母も急に言われて、
誰のことか思いつかなかった、・・・・・が考えてみたら昭和12年に
疾走した自分の母の弟、の名前がヒデオである。あとになって「あ、
そうか」と気づいたがもう遅い。やはり霊魂はあるのだろうか。


 では倉敷東中の梶谷くん、生きていてほしいが、気候も考えて、、
生存の可能性は非常に低い、と言わざるをえない。もっと年上なら、
どこかに住み込みで働いている、はない話でもないが、中3では誰
も住み込みで働かせてくれない。あのヒデオと同じ運命だろうか。

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