安岡章太郎『小説家の小説論』1970,(福武文庫で復刊)作家による作家論は独創的だ

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  志賀直哉から山川方夫にいたる14名についての作家論
に、1969年、昭和44年1月から12月まで「毎日新聞」に掲
載された文芸時評も合わさって翌年、1970年に河出書房新
社から刊行され、のちに「福武文庫」で復刊されているよ
うだ。昭和44年11月の文芸時評には三島由紀夫の短編への
批評が書かれている。そこであの「楯の会」について言及


 「それにしても彼らをホテルの従業員と見誤ったのは
私の不注意ばかりとはいえない。もともとドアマンは衛兵
であるから楯の人には違いない。ただ彼らは企業に雇われ
た人たちだから、醜の御楯ではないわけだが、楯の会も私
的なグループだから、なんにしても公共の楯ではない」

 などとあるが、その約一年後、三島を含む楯の会メンバ
ーが実際に総監室に乱入し、割腹、介錯(首切り)に及ぶ
など想像できなかっただろうが、まあそれが常識というも
のである。

 でメインの内容は14人の作家論だが、志賀直哉、谷崎潤
一郎、佐藤春夫、梶井基次郎、井伏鱒二、石川淳、小林秀雄
、高見順、梅崎春生、庄野潤三、吉行淳之介、阿川弘之、
遠藤周作、山川方夫、らへのエッセイ的な論やスケッチやら
で、実質そのほぼ全ては全集の月報、解説、また文庫本の解
説で書かれていたものだ。だから長さもスタイルもスタンス
も様々なのだが、安岡章太郎という作家によってこそ書かれ
たという貫徹した作家論である。文芸評論家の作家論とは
自ずから異なる。

 志賀直哉についても、まず安岡さんと昵懇の阿川弘之と
の会話から始めて、なにか小説的だ。いろんなエピソード
、ゴシップがかなり加えられて、気取らぬ読みやすさは、さ
すがの安岡さんだ。で、巻頭の志賀直哉についての論が、安
岡さんは気に入ったのか、さらに深入りしての「志賀直哉私
論」までものにしているという。

 読みやすいのは安岡さんの身上だが、それは二義的なこと
であり、その斬り込み方こそが本質なのである。いかにも
作家らしいのだ。そこらの文芸評論家ではまず書けないよう
な閃きめいている。だから安岡さんが実際に接した高見順、
井伏鱒二論などにやはり含蓄があると思えるし面白い。

 「高見順と云えば、おこりっぽいことで有名だった」との
書き出しの「高見順論」、怒れる高見順のさまざまなエピソ
ードで援用し、「最後の文士」と自称した高見順について

 「これは文学が天職であり得た時代と、単に職業でしかな
くなった時代の差、というだけではなく、また文士が存在し
エリかどうか、ということでもなく、あらゆる職業が人間と
のつながりがなく、バラバラになって、天職でなくとも全部
の職業が、全て自分で最後なのだ、という高見さんの考えは
凄惨なものだろう」

 つまるところ、文壇がもはや作家のものではなく出版社の
編集員の手のひらの上で踊らされる、そこから作家にさえ
「適当な代作者なら手配しますよ」という現実で、まあ、安
岡さんはなかなか天才と知らされる。井伏鱒二論もいい。

 「今の世の中を生きている人はすべて流民か、漂流民だ。
現代社会を生きるものは皆、漂流民の寄り合い世帯にしか
過ぎないことを底のそこまで見抜いていたのが井伏鱒二だ」
ドリトル先生の翻訳も全て他人で井伏鱒二は名前を貸した
だけだそうだが。そりゃそうだろう。

 鋭い!だがこのような手法の作家論は親しく接する必要が
ある。谷崎潤一郎などは全く付き合いもなく接することもな
かったから、その「谷崎潤一郎論」はおおいに大失敗の奈落
寸前だろうか。

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