有吉佐和子『一の糸』1965,有吉版の文楽準芸道小説だが、表現に深みに欠けるのでは

瀬戸口寂聴(晴美)さんには『恋川』という文楽を題材にし
た作品がある。それが1971年だから女流作家の文楽小説として
はパイオニアかもしれない。紀州三部作のようなパッションが
どうも感じられない。紀州という自家薬籠中のテーマとやはり
、同じようには難しいようだ。
東京の酒問屋の一人娘の茜は、文楽座の清太郎の三味線の魅
力に惹かれる。藤色のリボンのマーガレットに髪を結った茜は
、その巡業先に一人で訪ねていき、体を許した。茜はそれで清
太郎と夫婦になれると思ったようだが、すでに清太郎には妻子
がらう。茜はまだ17歳、・・・・・それから20年が経過した、
清太郎は四代目徳兵衛を襲名し、もう押しも押されぬ大家とな
っていた。だが早くから三味線名人として、すでの評価として
大家のようであり、年数は経てもそこから別に深みが出たとか
広がりが、など感じられなかった。有吉佐和子さんが文楽の世
界に入るのに何か精神的な抵抗があったように思えてならない。
そこで茜はその後、男嫌いを通して母と二人で宿屋を経営し
ていたが、その前年に9人もの子供を残して妻に先立たれた徳
兵衛からやっとこさ、求婚され、茜は徳兵衛の妻の座を射止め
た。
と小説は進展はするが、ここらからか、有吉さんの構成の崩壊
が生じた?かのようなあまりによけいな新聞の引用などが目立つ
気がする。その後、の戦争の時代、さらに配線、その苦難の時代
に茜は夫に献身的に尽くす。加齢しても勝ち気でわがままな茜だ
が、何かそのころからの描写が精彩を欠いているように思える。戦
後、文楽の二系統化、徳米が長く三味線を弾いた宇壺大夫と袂を分
かったこと、若い春太夫への指導などの記述に追われたためだろう
か。
徳兵衛が志渡寺を弾きながら死んでいくが、告別式に長くコンビ
を組んでいた宇壺大夫が焼香に来る、ところで終わっている。
確かに、それなりに茜の人間性の個性について表現されていても、
なにか魅力がないと思える。瀬戸内さんはこの作品の欠点を研究し
たのではないか、作品の背景の文楽についての、有吉さんのいまい
一、熱意のなさが印象にさえ残るのだ。ややはっきり言えば、文楽
の深さに有吉さんが迫っていないと言わざるを得ない。
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