三浦朱門『バベルの塔』遠藤周作の畏友、「右」の立場からの文明論
遠藤周作の親しかった作家は北杜夫、阿川弘之、吉行淳之介
、三浦朱門等が挙げられるだろうか、まあ人付き合いの良かっ
た遠藤周作だが、無論、自由主義、リベラルである。政治的な
発言はしなかったが。三浦朱門は同じくキリスト教信仰、カト
リックだが、妻は例の女性で「右の夫婦」である。気が合うか
ら一緒なわけで、三浦朱門も封建思想の持ち主である、夫婦そ
ろってキリスト教徒である。
で1972年の『バベルの塔』三浦朱門、これはそもそも小説な
のだろうか。元来は軽妙な文章であるが、読後感は妙に重さを
感じる。アメリカのコロラド州、カイオワ カントリー、小さ
な町、コロラド州で人口は減少しているという。最近はグーグル
アースのストリートビューで世界中の地域をすぐ見ることが可能
だ。
カイオワにある州立大学、そこへ創作教育研究のための視察に
やって来た三浦朱門さん。アメリカだから雑多な人種、民族が集
まっている。それでまず混乱する。イタリア人がいる、アルゼン
チン人、インド人の娘、イランからの娘、エチオピアの青年、カ
ンボジアの青年、中国人、日本人、とさすがにアメリカだが、や
はりアジア人に親近感を抱いてしまうのは仕方がない。
カトリック教徒の三浦朱門さんは教会の集いを通して住民に
溶け込む機会を与えられる。だがそれも上滑りだ、牧師のいう、
「兄弟たち」その普遍性を信じることが出来ない。これぞバベル
の塔だという。カイオワでの現実である。
カトリックの普遍性という理想と、個人ごとの国家、人種、民
族、文化の違い、ここから三浦さんは買って東南アジアに栄えた
日本人町の盛衰、ルソンに死んだ高山右近、などの生涯に思いを
馳せる。帰国後、大学紛争で教授は辞職、その時経験した、役職
が異なる者たちとの人間関係は、カイオワでの体験に通じたとい
う。「そのときの様々な国の人との違和感」である。
小説と言って、なんだか理屈っぽく思われそうだが、巧みに
会話、エピソードを交えて文明論としては面白い、とはいえる。
別段、政治性もないが、やはりスタンスは右である。
茫漠たるカイオワ Kiowa country

この記事へのコメント