井伏鱒二『荻窪風土記』、荻窪を語ることで自伝的な作品集となっている

地下鉄丸ノ内線は新宿発、荻窪行きである。「荻窪って
どんなところ?」でも丸の内線が出来て便利になったと思う。
荻窪と云えば文学者では井伏鱒二、まあ付随的に木山捷平な
んかもいた。東京に縁もなかった私は、荻窪にまだ行ったこ
とがない。いつかは、とは思うが東京は人が多い。地下鉄は
東京は多いが、丸ノ内線は地下鉄の中の「至宝」だろうか。
井伏鱒二が東京の早稲田鶴巻町の下宿から荻窪の井荻村、
これは現在の杉並区清水に越したのが昭和2年、1927年の夏
だという。荻窪って世田谷区じゃなく杉並区なわけだ。田舎
者にはどうでもいいが。郷里の兄からお金を送ってもらい、
借地に小さな家を建てた。まだ西多摩村とかいったのじゃな
いだろうか。東京市にも入らない、まだ武蔵野の面影である。
青梅街道の傍らに蹄鉄屋や一膳飯屋があったという。駅の方
に通じる小道を地元の人は山道と呼んでいた。
この本は荻窪住まいが半世紀を超えていた井伏さんの思い
出の数々を述べた、自伝的な作品集である。「小説ではなく
自伝風の随筆のつもり」とある。
荻窪とその周辺の風物を語り、その土地の生活の情景や文壇
での交友の思い出、回想、特に印象に残るのは昭和という時代
の波乱万丈ぶりである。ただ平穏な時代が半世紀以上過ぎたわ
けではない。その見聞をじんわり語っている。
「新宿郊外の中央線沿線には三流作家が移り、世田谷方面に
は左翼作家が住み、大森方面には流行作家が移っていく。それ
が常識だというものが現れた」
備後の詩人、木下夕爾は移りたくても移れない人だった。
関東大震災以降の東京の広がりを、武蔵野の一角から見事
にとらえている。他には幸田露伴の『一国の首都』、それぞれ
の時代で東京を論じた文学者の文章は多いが、『荻窪風土記』
はそのジャンルの名作というべきか。
冒頭は品川の岸壁から聞こえる汽笛、この叙述はいい。土地の
生まれ育ちのトビの職人の話から、震災の前後で全く変わったこ
ことを音によって具体的に住めす。「荻窪八丁目通り」、「関東
大震災直後」、「震災避難民」の章では当時の状況と学生時代の
文学的体験、「平野屋酒店」では家の新築の経緯が、「文壇青年」
では文壇登場の経緯、まさに滋味豊かに、というと凡庸だが、井伏
さんの何かと無断盗用、引用が問題視されるような作品でなく、真
に自分の筆で真実を述べている。「阿佐ヶ谷将棋会」に見られる
中央線沿線の文学者たちの交友の有様、近隣との付き合い、釣りの
話とか、昭和の時代が再現されている。井伏さんの本でまず第一に
勧められる本だろう。
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