丹羽文雄『一路』、「菩提樹」と並ぶ畢生の大作にして代表作
『一路』は昭和37年、1962年10月から雑誌『群像』に連載
を開始し、昭和41年、1966年6月に完結という大作である。た
だ長さで大作という意味ではなく、その文学的理念の追求とい
う点で丹羽文雄の窮極であり、昭和20年代「週刊読売」に連載
された『菩提樹』と双璧である。原稿用紙、2123枚という大作
あが、「週刊誌や新聞小説では、ゲラを見ることにしているが、
月刊雑誌では書きっぱなしである。締め切り間際なので、ゲラ
を見ている余裕はなかったが、それが悪い習慣になっていた。
『一路』は雑誌の切り抜きで手を加え、初校でも手を加えた。
再校も行った」というくらいの熱の入れよう、気迫であった。
浄土真宗ものなら『青麦』、『菩提樹』があった。『菩提樹』
では丹羽文雄は創作の動機で「人間は罪を犯さず生きることは
出来ないということで苦悩した」親鸞に傾倒した。無論、浄土真
宗の寺に生まれた丹羽文雄、母の母と婿養子の父が通じて、母は
旅役者と出奔という、ともかく煩悩の生涯を送った父を通して
親鸞を身近なものとした。『青麦』で晩年の父を書いた、だが『
青麦』は構成が破綻し、父を許そうという感傷が邪魔して作品と
して失敗とされる、『菩提樹』は「青麦」という下書きがあって
面目一新の堂々たる長編となった。構成的にも菜の花で始まる一
年間の地方都市の風物、寺院の行事な度も描くことで作品を風格
あるものとした。ラストは檀家の人たちを前に、一切の秘密を告
白し、親鸞聖人への帰依をもとに新生を誓って寺を出る父親を描
き、感動的というほかない。
『菩提樹』から十年近く経ての『一路』連載、「あとがき」に
こうある。
「浄土真宗の末寺に生まれた私は、おのれを『菩提樹』と『青
麦』と今回の『一路』ですべてを書き尽くした気持ちである。だが
やはり『一路』は最後に書くべきものであった。寺院を舞台にした
小説は、いろいろ書いてきたが、『有情』もその一つである。どれ
にも私らしいモデルが登場する。だが『一路』には私らしいモデル
は登場しない。にもかかわらず『一路』の加那子は私であると作者
はいう。私らしい人物が登場といって、ただちに私でもない」
『一路』は丹羽文雄と親鸞の教義との文学上の対決で生まれた
力作である。さらにいうなら、真の文学的対決は『一路』において
初めてなされている。
『一路』関西の一流料亭「煙波楼」で女中頭の加那子は、持ち前
のあだっぽさ、客扱いの上手さを見込まれて、浄土真宗高田派の称
名寺に迎えらや女人講でも好評、それを足掛かりに夫の好道は予定
通り、本山の宗務議員に選出される。二人の男児をもうけ、名実と
も寺の坊守に落ち着くが、生活力の強い加那子は何面をも磨こうと
宗教の教義の本を乱読し、真宗への理解を徐々に深める。だが容易
に信仰の領域に入れない。
戦争が激化、夫は本山の指名で北海道の別院の輪番で赴任、あとに
若い悠良が院代になる。加那子は悠良に魅力を覚え、また院代も、お
よそ坊守らしからぬ魅力の加那子に惹かれる。
空襲は激化、その中で寺を守る二人には結びついた。加那子は妊娠
し、悠良にも赤紙が来た。まもなく終戦、夫は別院から帰る。妊娠
三か月の加那子は正直に夫に告白した。夫はショックを受けたが、世
なれていて子供を檀家総代の家に貰ってもらう。
夫は順調に出世し、留守が多くなった。その間に、加那子は悠良と
密会を重ねた。やがて長男は嫁を迎え、次男は東京に勤務、だが意外
にも次男の聡が檀家総代の千家に貰われた娘、のぶ子と恋仲になった。
のぶ子は加那子が生んだ子供だ。しかもすぐ、のぶ子が身ごもった。
手紙でそれを知らされた加那子は上京し、聡に事情を話す。聡は愕然
とし、もう母など見ないと姿をくらます。だが加那子はの子の中絶に
安堵する。だがのぶ子は自殺する。加那子は二十年前の罪の深さに茫
然自失し、深夜一人本堂の前にひれ伏して呻き声を上げた。
のぶ子を殺したのは私だ、私は救われない人間になってしまった。
この作品ではなかった加那子の姿である。もう手の施しようもない。
それを夫の好道が見ている。「これが妻の正体だ」加那子はもがいて
いた。それほどまでの身を苛なまないと仏の声が聞こえないのか、
釈尊をまねるわけでもないが、この女を救わなければ好道は僧である
ことは許されない。58年の生涯はこの瞬間のためにあった。
本堂の闇が明るくなってきた。小鳥の声を好道は聞いた、・・・・・
ここで『一路』は終わる。
この作品で丹羽文雄は真正面から浄土真宗、親鸞の教えと対決した。
在家から寺に入った女性の進展過程から、その違和感、懐疑を通して、
何よりも丹羽文雄の手慣れたホームグラウンドだ。あまりに巧妙にめ
ぐらされたストーリーは全て計算ずくのようで作為的だが倫理と信仰
の対決という理念の結実だった。
好道に「妻は今こそ、眼を開く」と思わせる点が作者の意図だろう。
「加那子の苦悩は、理性の甲羅をかむっていた。論理の葛藤でとらえ
ていた。加那子は善悪の観念にとらえられていた。宗教の世界は、本
来、善にも悪にもかかわらぬものであった」
『一路』は、換言すれば丹羽文雄sの「思想」の表現であり、作家と
しての全存在がかけられていたというべきである。
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