ドラ・ド・ヨング『あらしのあと』岩波少年文庫、心にしみる家庭小説にして反戦小説


 終戦後、6年ほどしてオランダ生まれ女流作家によって書か
れた家庭小説、反戦小説である。ナチスドイツのオランダ占領
中から逃避行を行い、結局、、戦後アメリカに落ち着いた。発
表は1951年だろうか、1952年、昭和27年に岩波書店から岩波
少年文庫として出版された。発表時点で41歳となっていた6人
の子供の母親、翻訳からの印象だが、たいへん物腰柔らかな筆
致である。面白く、心を和やかにしてくれる家庭小説でまさに
温かい反戦小説といえる。底に流れる平和への祈念である。
Dola de Jong

 オランダの片田舎、静かな村に住む医者の一家、誰にでも親
切で優しい、村中から慕われているお父さんだ、愛情深いお母
さん、それと子供が6人、アムステルダムの学校に通っている
、しっかり者の姉のミープ、ピアノの稽古に熱心なヤップ、勉強
は嫌いだがスポーツ好きだが、ある夜、父親の診療の手伝いをし
て以来、心の底から医者になりたいと思って勉強に精を出し始め
たヤン、心は優しく、恥ずかしがりやな少女、ルト、彼女はヤン
の成績が悪く、他の学校に転校されそうになると、まだ9歳なの
にひとりでヤンの学校の校長先生に面会に行って、私がヤンに
勉強はやらせますと宣言し、退校扱いを阻止した。末の男の子、
ピムは愛嬌者、生まれたばかりの女の子、アンネ。

 1939年、平和に暮らしていたこの一家にナチスドイツの脅威が
迫ってきた。その懸念は現実化し、1940年5月、ドイツ軍がこの
小国になだれ込んできた。・・・ここまでが前編の作品「あらし
の前」の内容だ。それにつづくのが「あらしのあと」、「あらし
の前」の終わりにお母さんは「私たちは負け、ドイツは勝った、
でも私たちの方が強いのです。戦うのは武器をもってではなく、
正しいと信じる信念で」

 「あらしのあと」はその6年後の話になる。オランダは解放され
たが、散々な戦争被害、モノ不足、この一家でもヤップとヤンは
地下抵抗運動に参加、ヤンはドイツ軍に殺害された。戦争は過ぎ
去ったが、その影響は深刻だった。生活苦と、子供が地道に生き
る精神を失い、刺激的なものを求めたり、だがやがて一家に明る
い希望が見えてきた。ヤップの演奏会の線s脳、ルトの絵画への傾
倒、ピムもヴァイオリンを習おうと決心した、いずれ一家に平和が
戻ると、・・・・・

 である。だが、散々な目に会ったオランダもインドネシアの再
植民地化に軍事力を行使、インドネシア側に10万人もの犠牲者が出
たことは、単純に被害者=オランダで括れないと思えてならない。
植民地戦争はしかし、この一家の責任ではない。アメリカに移住し
たのであるし。

 ドラ・ド・ヨング  ユダヤ系のオランダ人作家
Dola de Jong (10 October 1911 - 12 November 2003) was a Jewish Dutch-American writer.[1] She is most well-known for her publication of The Tree and the Vine in 1954, which depicts a lesbian relationship.


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