伊藤整『火の鳥』1953,演劇の内幕だが天は二物を与えなかった、伊藤整が丹羽文雄、井上靖、舟橋聖一になれない理由

  ダウンロード (9).jpg
 伊藤整は1905年生まれ、丹羽文雄は1904年生まれ、近代
日本文学を代表する作家である。しかし伊藤整は丹羽文雄に
はなれなかった。さらに云え女性を描くことには伊藤整もた
けていたが、舟橋聖一にも遠くなれなかった。その思いを「
火の鳥」を読んで強く感じた。さらに1907年生まれの井上靖
1904年の船橋聖一をも合わせ、考えていいと思える。

 人気を誇る新劇女優の生島マリは、かって劇作家の杉山と
結婚し、妊娠したが中絶した。それを機会に杉山と別れた。
その後、もう50歳になる演出家の田島有美の愛人として彼が
主宰の劇団「薔薇座」の中心女優となっている。マリの父親
はイギリス人で今でも生活費をイギリスから送ってくる、父
親の違う姉と、その子を引き取っている。

 マリは望まれて映画に出演し、そこで長沼敬一というまだ
ニューフェースの青年を知り、恋に陥る。その映画会社に争
議が起きて、長沼も左傾化した。彼らの学生劇団に賛助出演
したのを機会に、マリの思想も動揺し、また長沼への執着も
あり、二人は郊外のホテルに隠れた。

 薔薇座の「桜の園」を上演していた大都劇場の支配人、草壁
は映画監督の富士を利用して二人を探し出すが、その事件はス
キャンダルとして世間を騒がせ、その失踪騒ぎは逆に人気を
引き上げた。マリの人気は確固たるものになった。彼女は長沼
から裏切り者と罵倒されながら、薔薇座に戻り、田島との関係
が復活した。薔薇座がマリを中心に分裂しそうになったとき、
また長沼とマリは結ばれた、がしょせん別世界に生きる水と油
だった。

 マリが新しい映画のために避暑地の小さな町にローケーション
に来た時、長沼の新生座が公演していた。長沼は逮捕状に追われ
る身であったが舞台に出る。警官隊に囲まれたその公演を見て
マリはひとり、夜の街を宿に帰った。マリは彼らの演劇に感動し
つつも、それになびくことは自分を失うことだと明確に意識して
いた。

 ・・・・・・伊藤整はこの長編を5年もかけてかきあげた。
終戦後まもなくから書き始めた.同年代の丹羽文雄は戦前から伊藤
以上の実績を積み上げて昭和20年代に「菩提樹」を書き上げて、
それを不朽の代表作とした。対して、伊藤整鋸の『火の鳥』、
さらに劇団内部の対立、俳優たちの葛藤、有名女優としての生嶋
マリとしてのポーズと感情が綿密に追求されている。心理主義作
家と伊藤整をいうなら面目躍如だろう、批評家としても評価を高
めていた伊藤整としては大成功の長編であったはずだ。

 映画会社の争議だから進駐軍まで介入した東宝の大争議がすぐ
思い起こされる、劇団は、・・・・・文学座?それに該当の女優が
いたように思えないが。

 小説はマリの一人称として進む、その意識は30歳の女性のもので
はなく、やはり伊藤整の分身のようだ。伊藤はその不自然さを補う
ためにマリをハーフに仕立てた。それは成功した着想ではないだろ
う。演劇ジャーナリズムを文壇ジャーナリズムに生きる自分の心理
を当てはめたようだ。あとがきで伊藤は「私は別に演劇、映画界に
関与したことはない」と書いている。モデルはいないというのだろ
が、実際、演劇界に通じた人が読めば、有り得そうもない非現実的
な心理だろう。そのような未経験の欠陥が危うく露呈しそうだ。こ
れは致命的欠陥になり得るが、用意周到な構成で危うく破綻をまぬ
かれているのだろう。

 だが舟橋聖一、丹羽文雄、伊藤整、井上靖という特に戦後の日本
文学の「巨星」を比べた場合、伊藤整には内面追求の心理主義的な
手法に卓越しており、もし他の三人のような人間の肉付け能力があ
れば、およそ他の追随を許さない大作家になれたと思うが、そうは
ならなかった。船橋聖一、丹羽文雄、井上靖に比べ、人間の肉付け
という点で劣ること数段である。

 結局、天は二物を伊藤整に与えなかったのだ。伊藤整理は正宗
白鳥、阿部知二、らの人物造形が出来ない作家の系統であり、谷
崎潤一郎、里見弴の系統ではない。その系列に船橋聖一、丹羽文雄、
井上靖がいる。伊藤整はあくまで西欧近代文学に学んだ心理追求の
分析を持ち味とする作家であったもし同じ題材を舟橋聖一や丹羽文雄
が書いたらと考えたら、「女優」という設定の非現実性が即座に露呈
するだろう。生島マリは肉感的な30歳女性だ、だがこの作品はそれを
感じさせず、自意識過剰な近代人としての面ばかり強調されている。
それを女優としたのは用心深すぎる伊藤整の計算の緻密さでしかない。

 緻密に近代主義の心理を描くが、しょせん、生きた人間らしくもな
い。迫力は乏しく、感動と無縁である。伊藤らしいとはいえる。感動
より分析なのだろう。

この記事へのコメント