若槻泰雄『原始林の中の日本人』1973,「排日の歴史」につづく「南米移民」の状況、杜撰な移民政策への批判

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 同じく中公新書で若槻泰雄さん先行の著書『排日の歴史』、
1971年、大阪万博もあり、超高度成長時代の絶頂期の日本、
「日本ほど幸福な国はない」と満たされ、有頂天の極みの
日本において出版された海外で日本人がどう思われ、扱わ
れてきたか、を述べた冷厳な本であり、貴重な内容であっ
た。もはや海外では、とくの白人国、中南米も含んでであ
ある、ブラジルだってアメリカとさして違わない、日本人
蔑視、アジア人蔑視、戦後は「白人国で暮らす」ことが日
本人の最高の栄達のように思われていたが実際は行けば悲
惨な日本人、それをとくと説いた得難い本だった。アメリ
カの極端な日本人移民排除政策に日本人が激高し、「日米戦
わば」という類の本が多数出版された時期は対米開戦の前で
はなく、実は大正時代であったことなど、読めば驚く、しか
し歴史の真実を容赦なく述べた本だった。その後の「外務省
がけ消した日本人」に先行する。

 『排日の歴史」につづく本である。1973年、この本は南米
の中でも最も苛酷な状況の中に、まさに棄民されたというし
かない日本人のアマゾン移民を中心に迫る内容である。

 アマゾンはかってヨーロッパ人が移民を行い、その密林
に、原生林に飲み込まれていった歴史を持つ。

 多少でも文明に染まった「人間」なら基本的に入植不可能
な土地に日本政府はほぼ何の調査もなく、準備もなく多くの
人を送り込んだ。戦後の焦土と化した荒廃の人口過剰な日本
、そこには無限と言える開発可能な土地がある、という誤っ
た幻想をもたせ、多数の人を移住させた。

 まず多少でも文明の影響を受けた「人間」には絶対に入
植不可能なアマゾンという土地に、日本政府はほぼ調査も
淳部も行わず多数の移民を送り込んだ。戦後の焦土と化して
人口過剰な日本、その解決に選んだのが南米移住である。
広大な土地が待っている、準備もなく移民を多数、送り込ん
だのである。

 若槻さんは新聞記者など、通常の日本人が分け入らない、
辺境の未開の地を好んで歴訪された。そこでの移民たちの生
活はまさに凄まじいの一語であった。もとよりそれまでの多く
の犠牲者らは語ることなく眠っていた。喜怒哀楽すら失って、
もはや人間ともいえないような「人間」と化した「元移民」の
姿は、アマゾン移民のあまりに悲惨さを雄弁に物語る。

 若槻さんは、少なくとも「農民魂」を持っていた人たち、な
まじ「農民魂」があったゆえに苦闘の限りを行って現在も苦闘
し、都会力の移民がさっさと開拓を見限って都会地に移り、そ
の生活はいくらかマシという事情を指摘し、政府な移民団体
がいう、「根性不足」、「経験不足」が全く的外れであったと
強く主張する。「移民に行ったくせに文句を言うな」という批
判は的外れであった。

 パラグアイやボリビアの政府が日本人移民は国の宝と言った
のは僻地で文明の恩恵のカケラもない場所で、「日系土民」とな
って土地にしがみつき、絶望の農業を行っていることへの感謝な
のである。

 戦前は移民の監視は日本政府の責務だったが、戦後は移民斡旋
がお役所仕事の典型と成って政府の責任は一切認めず、全て移民
の「努力不足」としてしまったのである、という。若槻さんは、
海外移住事業団に10年間勤務、絶望的な移民事業に体当たりで
ぶつかったキャリアを持つ。それゆえに自らの責任をも問うもの
となっている。内容の意味するものは重い。

 

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