川崎栄子『暗闇のトンネル』北朝鮮帰還事業、幻想の地上天国に多数を送り込んだ最大の要因は何か?

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 北朝鮮帰還事業は1950年代末から1984年にかけて実施され
た日本から北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への永住帰国、
移住である。それは集団的なものだった。その悲惨さは、ま
さに地上楽園どころか、地上の地獄、「社会主義」がもっと
も悪い意味で行われている地獄だった。それっを2003年に脱
北された川崎栄子さんが日本に帰国、つぶさに述べられてい
るとおりである。動画やニュース、なにより川崎栄子さんの
執筆になる「暗闇のトンネル』(英訳もされている)で詳し
く語られているとおりである。

 「私は自分のために脱北したのではない。むしロ、私は北朝
鮮の国民と帰国者のために働こうと決意し、43年間も必死で働
いた。社会主義国では余計に働いたからといって、収入が一切
増えるわけではない。だが私は朝から晩まで働き、持てるもの
のすべてを北朝鮮に捧げた。その私が北朝鮮を離れようと決め
たのはこの国の惨状を外に伝えるためである。愛する家族を北
朝鮮に残してでも、北朝鮮を出なければならなかった。ともに
北朝鮮にわたり、非業の死を遂げた帰国者たちの、またいまだ
生きて極貧に喘ぎ、恐怖に支配された地獄の釜の中で暮らす帰
国者たちの現状を、どうしても外に伝えねばならなかった。

 命をかけて北朝鮮を離れた。そして今、川崎栄子として北朝鮮
に残されている帰国者の惨状や帰国事業の事実を伝えて続けてい
る」

 「凄惨な最期を遂げていった何万、何十万人という帰国者たち、
帰国者と云うだけでなぜこのような境遇に置かれねばならないの
か。」

 「北朝鮮に渡った帰国者は、二度と日本後を踏むことは出来な
い。多くの帰国者にとっての祖国である韓国にも戻れない。北朝
鮮では外貨のための何十万という朝鮮人が外国で働いているが、
帰国者は絶対にその中に入れない。

 このような狂気がなぜ、許され続けるのか。何が彼らを救って
くれるのか・・・・・」

 「北朝鮮では、帰国者は階級制度の末端に位置させられている。
仕事を自分で決める事もできず、住まいも決めることは出来ない。
ほとんどは平壌から遠く離れた炭鉱、農村、製鉄所などへの配属と
なり死ぬまで労働させられた、壮絶ないじめに遭った。何の罪も
ないのに『政治犯』のレッテルをはられ、拷問の末に殺された」

 と北朝鮮基幹事業での「帰国者」への徹底した差別、迫害はま
さに惨憺たるもので「地上楽園」の真逆の「地上地獄」というわ
けである。

 だが日本人妻も多数、朝鮮人の夫と北朝鮮に渡った。

 「帰国事業について責任をまず取るべきは朝鮮総連、・・・・・
そして日本政府、日本政府は日本人妻に対し、『3年で戻ってこら
れる』と大嘘をついた。・・・・・失意の中でどれだけの日本人が
失意の中で死んでいったのか」

 だが、なぜ韓国への帰還事業がなされなかったのか?多くは南部
の出身であったはずだ。李承晩政権の帰還事業拒否の逆手をとった
金日成の方針であった。韓国よりは朝鮮戦争からの立ち直りが早い、
と計画経済路線で北朝鮮の「優位」が信じられていたこと、朝鮮総
連が「地上楽園」と社会主義の北を吹聴したこと、また日本政府の
朝鮮人在日への生活保護費の負担、犯罪率の高への懸念、人口過剰
の日本から朝鮮人を追い出したいという本音から、自民党が帰還事
業に最も熱心であった。

 川崎栄子さんの本から

 「帰国事業というものが何であったのか、北朝鮮に渡った人たち
がどんな目にあったのか、それを伝えたくて私はもう一度本を書く
ことにした、日本人、朝鮮人という分断の差別の枠を超え、この事
実を知ってほしい」

 川崎栄子さんの本、電子書籍へのアマゾンでのレヴューだが
「日本に生きていて良かった」というコメントがあった。まず書い
ているのは日本人あろう。「日本でよかった」だが現在の日本でも
メディアの商業主義か、嫌韓(要は朝鮮人差別)の憎悪、蔑視は
ネット世界を含め、日本を席巻し続けている。日本国内であまりの
民族差別、迫害、就職できない、仕事がない、事業はパチンコ屋、
またヤクザ暴力団入という絶望的な状況は戦後続き、金日成の、ま
た朝鮮総連の「地上楽園」幻想はあったが、日本でも民族差別のあ
まりの過酷さが「地上楽園」幻想を生じさせた大きな要因である。
いまなおDHCの元会長のひどい差別発言が公然なのである。

 スパイ、工作員の日本語教育!のためわざわざ日本でホステス
などを拉致していた、なぜ膨大な日本育ちの朝鮮人がいるのに?
という疑問は、最下層に据えられた帰国者に「日本語教育」の役
割など与えられる道理はなかったのである。

 「日本でよかった」と北朝鮮の地上地獄を嘲るだけでは何も
学んでいない。民族差別を些かでもなくす方向に進まないと、い
つまで経っても、北の「帰国者差別、虐め」と日本国内の「嫌韓、
朝鮮人差別、いじめ」がコンビで存在しているようでは情けない。
懸念されるのは北の地上地獄への侮蔑、憎悪が国内の在日へのさら
なる民族差別に通じかねない、という現代の日本の精神構造であり、
これは川崎さんは予測しているだろうか?

 ともかく、地上地獄を地上楽園と荒唐無稽な幻想、希望を生ま
しめたのは、日本国内のあまりの朝鮮民族差別、民族名も名乗れ
ない、就職もないという在日の置かれた苛酷な状況であった、そ
れを日本人は考えるべきで、それは基本的に今も変わらないので
ある。さらに日本政府の意図的な朝鮮人の追い出し政策、李承晩 
政権の帰還拒否政策であった。無論、根本は分断をもたらしてし
まった日本の朝鮮半島併合という歴史の歪みと言わざるを得ない。

 俳優、声優で成功した永山一夫は1971年10月22日、新潟港から
北に二人の子供と帰還の道についた。日本で軍国映画まで出ていた
永山一夫が強制収容所で拷問され、死んだことは確かだろう。

 
 永山一夫も乗船の万景峰号、新潟港、1971年10月22日

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