大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』1972,難解過ぎる「ミカド批判」だろう

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 初版から現在まで一貫して講談社から出ている。1972年
に初版だ、表題作は「みずから我が涙をぬぐいたまう日」で
もう一つ「月の男」である。さて、どう読むかだが、1970年
に乱入割腹した三島由紀夫への皮肉があるとは思う。まず二つ
の作品の共通の根底のコンセプトは潜在的なテーマでもあるが
「純粋天皇」という大江さんの持つ独自の「ミカド批判」の、
その具現化であるように思う。当時、まだまだ真っ向からの天
皇制批判は難しかったようで、代表作的な「セブンティーン」
の第二部「政治少年死す」が容易に単行本で出せなかった、と
いう事情もある。そういう閉塞状況で大江さんは「純粋天皇の
テーゼ」というコンセプトを小説という形で奥歯に物が挟まっ
たように、底流で訴えるのだから、まあ、いたって難解になる
わけである。

 『みずから我が涙をぬぐういたまう日』の概略はどうなのだ
ろうか、どうまとめられる?

 主人公は「かれ」だ、35歳にもなる。肝臓がんを病んで、みず
からをガンそのもの、ガンの魂だと信じ、正気と狂気の間を行き
つ、戻りつである。かれは「遺言代執行人」である看護婦に、あ
る「同時代史」を口述筆記させている。

 彼はこの看護「かれ」はこの看護婦にアメリカ人と結婚し、子
供をアメリカ人の養子にしろ、と命じるのだ。

 かれに過去を掘り起こす幼児回想物語「同時代史』が始まって
いく。かれの父は、満州の軍部と関連ある黒幕の一人で、東条と
石原莞爾の間を取り持つための運動を行って、その後、郷里の谷
間に帰り、蔵屋敷に閉じこもり、膀胱ガンにかかる。しかし敗戦
のとき、脱走兵に呼び出され、徹底抗戦の軍人と蹶起しようとし
て殺される。しかし母親は大逆事件の関係者の娘であり、かれの
兄のことから父と不仲に成る。

 「父」はこの小説で「あの人」と書かれ、大文字でしかも書か
れているのだ。表題はバッハの独唱カンタータの一節であり、「
涙をぬぐいたまう』のはドイツ語のハイラント、救世主である
「あの人」は、それを天皇と考える。

 「天皇が、おんみずからの手で、わたしの涙を拭ってくださる
、死よ、早く来い」と「かれ」に教える。25年前、「あの人」が
教え、ガンを病む「かれ」の体に残っている。

 まあ難解である、ミカドにかかわる黒ミサの話だから、全く
グロテスクに成るのは仕方がないだろう。つき合いきれない面
はある。

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