故郷に対して愛憎相半ば、は普遍的な思いだろう

当たり前の話だが、生まれ育った故郷を愛せる人は幸福で
ある。無論、あのム室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思
うもの、悲しくうたうもの、よしやうらぶれて異土の乞食と
なるとても帰るところにあるまじや・・・・・」の心情はま
た普遍的である。愛憎相半ば、もまたやむを得ないものだ。
生まれ育ったその土地での体験が苦渋すぎたら、当然「帰る
ところにあるまじや」である。取りたてて大きな不幸も災難
もなければ、懐かしい、・・・・・だろう。無論、その人の
心情は様々で、いちがいに決めつけることなどできない。
いかに故郷で不幸があろうと、その大きな要因は私の場合は
ひとえに両親、その不健全な家庭にほぼ帰せられる。しかも
親がl故郷でつけた味噌は半端ではない、ある意味、空前絶後
である。私は別に故郷を憎む理由もない、だがあまりの私の
責任ではない(当たり前だ!』ことによる汚点がすさまじすぎ
るのである。
でも、やっと親もすべて去った。親の記憶は消しても、しか
し故郷の記憶は消せない。商店街は死に絶えた?と思いきや、
故郷は観光と云う点に街の新たな発展を見出した。コロナで多
くの観光地は観光客を減少させているというが、故郷は逆に
増加しているという。子供時代は広い商圏を持っていて、真備
町も商圏内だった、買い物客、子供達、もう歩くのも難しいく
らいだった、……がその姿、買い物客は消え、子供の姿は皆目、
見なくなった、が今度は観光客の姿だ、これは前町長の方針の
正しさだったわけであろう。
これで苦渋な記憶さえなければ、なのだが現実は、厳しい。
ただたまに訪れて(実は近い!』昔親しかった商店の方、と
お話しするのは楽しいが、もうどんどん入れ替わりで出て行っ
て昔からの馴染みの人は本当に少なくなった。
愛憎相半ば、それは仕方ないことだろう。素直に故郷を懐か
しいと云える人はうらやましいが、これはどうしようもない。
やはり、愛憎相半ばの憎の部分を少しでも減らしていきたいも
のである。
この記事へのコメント
観光客は増えてもゼニは落とさない。国からの補助金は観光政策に消え、コロナ支援金も全額「矢掛屋」グループに支援。
そのため「矢掛屋」と前町長贔屓の建設会社は国税局から査察。相当額の追徴納税をした。
町役場の各課は、緊縮財政で町民は無償ボランティアに毛が生えた程度の日当で働く。
大東建託は中国地方一の人気ある町だというが、どこを調べたのであろう。