阿川弘之『魔の遺産』1954,ヒロシマの悲劇を私小説風に描いているが、正面から立ち向かっていない憾みがある

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 さて、・・・・・阿川弘之さん、志賀直哉との師弟関係も
あるは遠藤周作との交友が私には印象に一番残る。岩波の『
図書』に長らく『志賀直哉』を連載、完結後、阿川弘之、遠
藤周作、北杜夫三人で座談、遠藤「阿川さん、『志賀直哉』
完結しましたね、一杯いきましょうや」阿川「やめてくれよ、
阿川さんなんて」、・・・・・・その阿川さんは1954年、昭
和29年に発表した『魔の遺産』、言うまでもなくヒロシマの
悲劇を描いている。

 野口という作家がある雑誌社からの依頼を受け、原爆投下
後8年目の広島についての記事を書くために調査に赴く、こ
の作家は広島が故郷で旧制中学、旧制高校も広島である。

 先ず野口は広島の叔父の家に寄宿する。叔父は役人を辞め、
新しい仕事をしている。妻の体調も芳しくないが、子供の
健も病気がちである。それらは被爆の後遺症である。この一家
にはその他にも犠牲者がいる。

 野口はABCCというアメリカが経営してる病院に行って事情
を調べるが、この病院は調査はやるが治療はしない、という
方針である。アメリカ人医師がおり、日本人スタッフもいる。
人種的偏見もある。次に県立の広島医科大学を訪れる。アメ
リカの実験的思想に批判を聞かされる。

 広島市内の被爆のスポットを訪ねてみる。「安らかに眠って
くださ、過ちは・・・・」という碑文に違和感を覚える。調査
中にいとこの病気の成り行きも気になってくる。やがて高校の
国語教師に「柳の会」を紹介され、出席するようになる。

 この会は原爆投下の被害、後遺症で同じ病院にいた人たちの
親睦会である。底に出席した野口は当時の状況、現在の心境を
聞く。

 野口の傍聴した会は「音戸の瀬戸」で催された。そこに行く
船旅をした。機械工場経営の三上さん、広島大学の学生さん、
顔に青い痣があり、ネット夫人と呼ばれている石垣邦子さん、
酒屋の女将さんの小西さん、郵便局員の広畑さん、これに教師
のネ根岸さんを加えて6名、会では各自が体験談、を語る。
広島大学生の中黒瀬くんの体験談、

 彼は広島一中の生徒だったが同級生は彼以外全員死んだ、
自分一人は欠席していて助かった、その日、トイレに行こう
としたら滝のような光が流れるのを見た、同時に自分の体から
また父親の頭からも血が吹き出しているのに気づいた、最初は
家財を持って逃げようとしたが、すぐあきらめ、避難者がごっ
たがえす地獄絵図の中に潜り込み、火と水の中を逃げて九死に
一生を得た。その道中で御真影のために重傷者までが道を開け
るのを見て、天皇制は廃止スべきものと考えた。これには反対
意見もあった、この学生は原爆投下の体験を綴った少年少女の
文章を読み上げた。そんな調子で会は終わった。

 野口は叔父の家でノートを整理していたが従兄弟の健の体調
は悪化の一途、広島の被害について調べてもこれで十分とは到
底、行かないと思い始め、東京に戻る気持ちになっていたら健
も死んでしまう。野口は広島を去った。

 私小説風だ、まずは実体験に近いと思う。「柳の会」など、
構成でも技巧を凝らしているが、広島に正面から向かい合って
いないという批判も可能だろう。やはり対象があまりに重すぎ
るという点は考慮すべきだろうか。

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