「週刊金曜日」の新型コロナワクチン「治験不要論」を斬る、もう廃刊したら


 新型コロナワクチンの超法規的な臨床使用は国のお墨付き
の政策であり、何よりも薬品の安全性について責任を持つ
国、厚労省の責任を追求スべきなのは言うまでもない。だが
、なぜここで「週刊金曜日」を取り上げるかと云えば、私は
「週刊金曜日」こそが国の暴走、その目的遂行の道具となる
大衆操作の既成メディアとは異なる視点、薬害追求のスタン
スを多少なりとも期待したのだが、一貫して「週刊金曜日」
は超巨大製薬の日本国内のエージェントのような「研究者」
を度々登場させ、「新型コロナワクチンを避ける理由はない」
という結論を掲載している。その趣旨の記事はあきれるほど
「週刊金曜日」には多い。現実、この世界が熱に浮かされた
ような、別に感染症で熱に浮かされたのではなく、洗脳暴走
の熱に浮かされたような状況であり、こういう状況でこそ、
「はみ出し」メディアの「週刊金曜日』に多少の期待もし
したが、全くその「通常洗脳路線」では反CO2カルト、脱炭
素カルトを「環境主義」と取り違えるという浅ましさはカル
ト同調と替わる点はない。既成大手メディアが洗脳路線にその
営業上、同調せざるを得ないのはいい気はしないがやむを得な
いとは思う。だが「週刊金曜日」のあまりのワクチン礼賛、と
いうより「治験不要」、「臨床試験不要」、「多少の犠牲は
感受すべき」という「論調」は開いた口が塞がらない、この
ような洗脳同調路線に従うなら何の存在意義もないから、今
こそ「週刊金曜日」は廃刊してほしい気がする。

 この度の新型コロナパンデミック騒動を支えるものはPCR検査
、無症状感染の概念、さらにいえばその「存在証明」が何ら明確
でないという重大な点である。PCR検査の発明!でノーベル賞を
受賞したキャリー・マリス氏が2019年8月7日、自宅で急死、し
かし不審死である。なぜなたその途端、新型コロナが「武漢」か
ら「発見」、存在証明が明確でないままPCR検査の乱用でこの
騒動は始まった。PCR検査無くしてこの騒ぎは一切、起こり得な
い。存在証明がないゆえにサンプルもなく、mRNAとい全く前例
のな「ワクチン」が実質、治験もなく臨床に超大量に使用され始
めた。前例のないワクチンであれば実際の臨床応用まで最低12年
以上かかるとされる。長期臨床試験も必須である。ましてmRNA
ワクチンである。何十年も研究されているHIVワクチンもなお実
用にいたっていない。

 ワクチンの薬害を訴える本は、例えば「私憤から公憤へ」岩波
新書、吉原賢二が挙げられる。そこで述べられているのは治験を
経たはずのワクチンの、あまりに杜撰極まる実態であり、被害は
封じ込められる社会悪というしかない実態である。ならば治験す
ら事実上、パスの前例なきワクチンの薬害はどう帰結するのだろ
うか。

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 mRNAワクチンを筋注したら注射針は筋肉細胞よりも遥かに
太いから、mRNAは結局、全身に行き渡り、全身でmRNAを自己
の細胞が製造しはじめる。その長期的な臨床上の経過も通常は、1
10年以上かけて調べないと実用など不可能だろう。注射剤に始め
て使われるポリエチレングリコール、自己細胞で生成されるスパ
イクタンパク自体は毒性が強い、遺伝子組換えポリヌクレオチド
を始めて人体に使用するケースである。「今まで例がない」が
数多い。

 「週刊金曜日」だけやり玉では栓もないようだが、「はみ出し」
メディアならばこそ、ここで正論主張してほしかったが、現実は
見ての通りの醜態である。もうさっさとやめてほしい。
 

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