円地文子『あざやかな女』1965、男性遍歴の中で芸を磨いた女性、モデルは岸上きみ、大蔵喜七郎ら
実在モデル小説である、主人公は岸上きみ、後年のパトロ
ンが大倉財閥の大倉喜七郎である。大倉財閥も戦後は縮小し、
実質消滅したがホテルオークラにその威光がなお残っている。
岸上きみが1962年に死去、大倉喜七郎も1963年に死去、その
安心感で円地文子はこれを書いたのだろう。岸上きみは芸名
が美葵(みき)でややこしい。
大筋は、明治時代、ある華族と芸者の間に生まれた私生児
が。芸事の才能が豊かと認められ、清元、歌沢の名手となり、
その芸の練達と男性遍歴、パトロン遍歴を繰り広げ、大正、
昭和の時代の動乱を生き抜いて、四人の男性、パトロンの力添
えで芸の開花を見せて死ぬまでの物語だろう・ただ前半と後半
戸でいうとz年版の主人公、パトロンなどの作中人物の記述の
緊密さ、確かさがどうも後半は、やはり何から何まで実態を把
握もできないのは仕方ないが、ちょっとあまりに作られすぎで
は、という印象を受けざるを得ない。
いわゆる、女の一生物、例えば有吉佐和子んなどにも見られ
るし、多いが基本的に多くの作家が一度は手掛けるものだろう。
だがその「女」が四十代となると書きにくくなるのも通例であ
る。魅力をどっか失いがちになる。他の作家の作品にもやはり
見られるような気がするのだ。
だが。逆に云うならば女の魅力は三十代ということだろうか。
主人公にとって最後の男性となる、10歳年下の画家との恋愛は
まことに清冽に描かれているが、戦争という時代の中で、あま
りにきっちり構成されていて、これは作者の想像力をかなり働か
せた部分と思えるが、非常に通俗的に流れていると言わざるを得
ない。
主人公の三人目の男で女を古い芸術の世界から「明日香楽」と
いう新しい音楽の世界に連れ去る小椋正一郎、はつまり大倉男爵
、喜七郎だが、実在モデルを使っての小説化という点で、非常に
方法論的に巧妙と言えると思う。「実際は大和楽であり、大倉と
岸上きみが中心となり、藤原義江、断伊玖磨、原信子など洋楽の
人材も参加した。
実際、明治から大正、昭和初期の芸人の世界や花柳界を書ける
作家は多くはないだろう、もはや現在は絶滅種かもしれない。
円地文子さんの筆力はやはり素晴らしいと言わざるを得ないもの
がある。ただこの作品、いまどれほど読まれているのだろうか。
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