古井由吉、短編集『水』1973、どこまでも暗く重い人間の吐息、「読者を持たぬ作家?]の真骨頂

古井由吉さん1937~2020,ごく最近に亡くなられた作家だ
が、わたしはその名前すら長く知らなかっった。ドイツ文学者
もあったが大学をやめて作家専業に、受賞歴は赫々たるものだ。
いつか「東京物語考」岩波書店、をふと読み、感心したという
のか、感嘆した。古井由吉というと、自然、あの政治家の古井
喜美さんと混同しがちになる。私がそうだった。でも東京が色
濃い作家である。暗い濃密な世界の含蓄と云うべきか。
その『水』という作品、1973年。40歳過ぎの作品だ。
郊外の公団住宅2ひとり暮らしの女友だちの部屋にふらりと
夜中にやって来た青年、寝つかれないままに
「ここはすごいよ、寝息も何も伝わらないけど、囲いに囲ま
れて安心しきった人間どもの、存在を剥き出しにして眠ってい
る気配が八方からのしかかってくる、うとうとしかけると、そ
の圧力が感じ取られる、せめてこの一棟を爆破できる力のダイナ
マイトでも枕にすればちょうど釣り合いが取れて安眠できるのだ
はなぁ」
と女のそばでつぶやく場面が「弟」の章にある。
夜が白んできたら、彼は「皆ようやく息絶えたな。夜明けの
空気の鋭さは死臭を際立たせる」と詩のようなつぶやきをする。
現実にこんな変なことを女の部屋に来て口走る男は、かりに
詩人でもいるはずはないが、・・・・・・といってやっと寝息
をたてる。このとこは自分が住むボロアパートの遮音性の低さ
ゆえの隣室などからの多様な生活音に耐えきれず、女友達の部
屋に転がり込むのだ。
『本」は短編集で「影」、「水」、「狐」、「衣」、「弟」
、「谷」の六篇が収められている。『東京物語考』でも感じた、
なんとも沈んで濃密な筆致は変わらない。どの作品にも、なに
か精神的に追い詰められた人間の地の底からのような呻きが、
不安げに浮き出てくる。
どの作品にも、この世の人間の感じ取る苦しみが静寂の中で
、それが人間の正体であるかのように、暗く息づいている。寝
つかれない夜の妄想が仮面をかなぐり捨てて、人の吐息、溜息
で暗く重く作品を包む。なんだか明るく爽やかな、軽快な昼の
世界は偽りの世界であるかのようだ。暗く思い夜の世界こそが
実は人間の正体が露呈する生命を燃焼する世界だというかのよ
うだ。
「影」では、「それぞれ内にこもって死ぬ定めの人間にでき
ることは、叫び立て、叫び交わすことだけだ」
どの短編も暗く重く沈んでいる。窮極をといつめるかのよう
に。・・・・・・これらを読めば読まれない作家というのも分
かる気がする。
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