中村光夫『平和の死』戦前の日本人の特権階級の夢の終わり

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 これは中村光夫という戦前の特権階級にあった人物の、
いわば体験がそのままベースとなっている。東京の医師
の息子として生まれ、東京高等師範附属中学から一高へ
、東京帝大法学部に入るがしっくりいかず退学、文学部
仏文に再入学、とまあ、実は戦前の庶民では考えられな
い特権階級の生活だ、1938年にフランス政府から招かれ、
渡仏、パリ大学に学ぶが戦争勃発、まずフランスはナチ
すに攻撃され、完敗、ヒトラーのパリ入城だ。帰国は19
39年、・・・・・つまりこの帰国が「平和の死」なのだ。
フランスのこうふくは1940年6月22日だ。

 作品はだから第二次大戦前夜である。その時期の在パ
リの日本人だから特権階級の極みだ。

 主人公は作者がモデルだ。有名な大病院の息子、左翼活動
に従い、帰国すると投獄はまぬかれず、パリで美人のフラン
ス人女性を暮らしている佐藤という男が出てくる。

 家から送られる大金をこの男に届けた主人公の昌一、「
ああいうふうにフランス美人とパリで暮らして、自分の理想
に忠実でいられる」とはなんとも贅沢の極みと思い、「親の
金を使いながら、自分では殉教者を気取っている。全く金持
ちの息子は呆れ果てたものだ」と羨望と憎しみにかられる。

 「女と良心を両脇に抱いてパリで生きる」ことは主人公の
昌一も「出来れば実現したい人生の理想」と思い描いている。
昌一は、増田や桜井とともにインド洋を超えての40日もの船
旅を経てパリにやって来た留学生だ。

 フランス政府から奨学金を受ける昌一と、親の金で女と暮
らす佐藤との間にはたしかに貧富の差はある。だが「女と良
心を抱いてパリで暮らすことを人生の理想とする」点では同
じである。

 作者は「二つの大戦の間、という特異な時代の終わりとと
もに、当時の日本の知識階級の姿も描いておきたい」という。

 デスマス調で「昭和の初期は知識階級が最も無気力となって
、また自信を失った時代ですが、同時にその虚心がかれらを前
後に例がないほど近づけたようです」と説明している。

 この、あとがきからも伺われるが、「女と良心を両脇に抱え
てパリで暮らす」という人生の理想の姿はs中村光夫らの姿であ
る。

 これら「ヨーロッパこそは我の精神の故郷」と信じている連
中は、パリでの生活も終わるを迎えそうなのに、意識と感覚の
真贋を問われているとこrが読み応えがある。

 正直、あの時代、パリで「女と良心を両脇に抱いてパリで暮ら
す」を人生の理想とはいくらなんでも特権階級の度が過ぎるとい
うものだ。平和の死、とはいうが、それを悲しむべきか、喜ぶべ
きか、である。

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