十返千鶴子『みんなが嘘をついている』1969,十返肇のガンとの闘い、私小説風に十返肇を語り手に

いま亡き近藤先生の「患者よ、ガンと闘うな」というコンセ
プトはかなり以前はまずなかった。ひたすら撲滅スべきはガン
という考えは社会に徹底していたと思う。文学者でも十返肇の
ガンでの死亡後、高見順、亀井勝一郎、丸岡明、木山捷平、中
山義秀、伊藤整など、続々と、ガンで亡くなっている。私見だ
がガンは単純に切除して治るものではない。ならどすうる?
口腔がんについては放射線は有効である。だが絶対でもないし
、治ったように見えてその後、何処かで帳尻を合わせる羽目に
もなりかねない、と実感する。
そこでその昔は存在感がすごかった文芸評論家の十返肇、その
妻は十返千鶴子、何と言っても「十返」という名前が個性的だ、
本名である。本名は「十返一」妻の十返千鶴子は画家の風間完の
妹である。
「十返肇ガンとの闘い」という副題がついている。昭和38年、
1963年8月にガンで亡くなった夫の十返肇の臨終までの経過を一
冊にまとめたものだ。古書でかろうじてまだ入手可能だが、ほと
んど出回っていない。だがこの本の特徴は、妻が夫の闘病を詳し
く記述したとかいうものではない。いわば私小説風に十返肇自身
がその主格となって死に至るまでの心理的なプロセスをつぶさに
描いたものだ。単に妻以上のベターハーフの、正直、多少、僭越
ではと思わせる部分はある。
もしあの世の十返肇がこれを読んだらどう思うだろうか、文芸
評論家の頂点?に立った人物だ。ずいぶんと、矮小化しやがって
、と思うだろう。ただ現実に死にゆく人間が、みずから死にゆく
状態を描ききれるものではないし、死の描写は基本的に架空であ
る。あくまで想像の域を出ないだろうが、だが、・・・・・・そ
の死を最も痛切に受け止めた人間が夫に成り代わって死に至るま
での私的な精神的状況を書き残したい、というのも理解できる。
いずれにせよ、本人、十返肇に成り代わって一人称で臨終まで
を描いたとこロにこの本の価値のすべてがある。実際、十返千鶴
子はこの本の出版までに「未亡人ばんざい」などの夫の死に纏る
本をかなり出している。亭主の死を自らのジャンピングボードに
したのは事実だ。
ではこの本はそのようなコンセプトが成功しているだろうか、な
のだがまず困難なコンセプトを見事にこなした成功作と云うべき
だろう。よくまとめ上げているといって十返千鶴子は夫が死んで
いきなり、その死に纏る本を書き始めたのではない。この本も
七回忌を記念で自費出版という形で友人知人に贈ったものであっ
た。いわば私家版だがそれを贈ってもらった編集者が、これなら
市販しても十分いける、市販の価値があると評価した結果である。
七回忌を営むような時間の経過が愛夫の死を私小説風に描くこと
を可能にしたわけであり、これは優れた文学的モチーフになり得
るものだ。
あとがき、的な文章で十返千鶴子は
「世間には、己のガンを正視し、雄々しく氏と立ち向かう勇気
をお見せになった方々もたくさんおられます。その方々の姿には
私も深く敬服の気持ちを抱いておりますが、あたしの夫の場合は
そのような強さがあったとは見受けられません。だからガンでは
と疑いつつも、医者や周囲からそれを打ち消されたら、いっとき
でも安心し、弱り果てた身体と心のまだどこかに、聖への希望
が、たとえ糸のように細まりながら、なお繋ぎとめられていたと
思われるのです」
要するに弱い人間の立場を維持しながら、かけがえない愛情に
支えられ、よく一貫した感情移入を成し遂げたために真実味のこ
もったリアリティが生まれたと思える。
十返肇は1963年7月13日に築地のがんセンターに入院、その一ヶ
月と少しあと、8月28日に永眠した。約一ヶ月半の闘病生活を筆談
メモや看病記録をもとに再現したものだそうだ。一部ではまだ意識
明晰な十返肇、二部は意識混濁となった十返肇、精神錯乱の姿が描
かれる。一部がやはりよくて、昔の情婦がお見舞いにキて妻の目を
誤魔化すのに苦労する姿は面白い。
舌癌の文学者も他に「下々の女」江夏美好、もいる。田村俊子文
学賞をこの作品で受賞下が舌がんに、ついにその苦しみから自死を
遂げた。やはりその苦しみは筆舌に尽くせぬものなのだろう。
私事だが口腔外科時代、何人も口腔がんの患者さんを受け持った。
退職まえに三人担当だが都合で一人になってしまい、その死を看取
る結果になった。長い闘病の方だった、下顎切除で十年以上、よく
耐えられたと思う。
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