脱炭素カルトが生む、、金属資源の目も眩むほどの浪費、目の前の銅資源の枯渇の危険性

現実に石油、石炭、天然ガスなどの化石エネルギーがなくな
ったら近代文明はもはや存続できないが、それらの埋蔵量は実
に莫大であり、石炭などは、あと千年はもつという推計がアメ
リカでは出ている。同時にベースメタル、レアメタルなどの金
属資源なくして近代文明は存在し得ないのも明らかである。石
油、石炭などよりはるかに埋蔵量は限られている金属資源だが、
「脱炭素」カルト、グレタ教への人類の帰依によって、金属消
費が恐るべき勢いで増加している。現実の枯渇で近代文明に終
焉をもたらすものは金属であり、特に銅資源である。
それにしても私がいつも感じるのは車というものがいかに贅沢
なものであるかだ、あの広い面積をわずか一人の人間が占有し、
悠然と道路を走るが、あの車の製造のために要した莫大な金属類、
ベースからレアまでその一台当たりの使用量は激増である。HEV,
PHEV,BEVなど今後、どの使用量は天井知らずだろう。樹脂化合物
、半導体の使用も激増である。ありとあらゆる素材がぜいたくに
使われ、それを一人が乗って(もちろん、複数乗車もあるが)いる
のだから本当に人間は贅沢である。
ガソリン、軽油などの石油系燃料の利用に対してのみ、行政主導
で「エコ概念」が限定されてきたかのようだ。つまり「エコ」概念
の適用が近年特に、化石燃料に限定されるように誘導されてきた。
その理由は元来は石油資源の節約、つまり石油危機というものが、
いかに重大なものであったかであるが、石油石炭天然ガスなどの資源
は実は莫大である。無論、石油も可採年数は限られているが、あらた
ら油田の発見、さらにシェールオイル、シェールガスなどの利用でき
わめて長期に利用可能である。
石油資源への配慮とともに大気汚染の抑制という理由も、「エコ」
概念の化石燃料への限定の理由だった
さらに「エコ」概念がCO2ぞうかによる「温室効果」での気温上昇、
挙句の「気候変動」という絶対的なドグマが登場し、「エコ」概念
の石油系燃料限定には拍車をかけた。もはやエコとはCO2抑制以外の
何物でもない、という超プロパガンダとなったわけであるが、この「
エコ概念」の極度の限定解釈が際限もない金属の使用、浪費をさらに
エスカレートさせた、
とにかく近代文明が世界中に広まるとともに金属の使用は増加の
一途であるが、現実は2050年までに現在の確定埋蔵量の数倍以上の
使用が予想されるのは銅、亜鉛、鉛、金、銀、スズ、ニッケル、マン
ガン、ニッケル、アンチモニイ、リチウム、インジウム、ガリウム、
またコバルトである。
「埋蔵量」でなく「埋蔵量ベース」という技術的に採掘可能だが、
経済的コストで採掘対象とみなされない、資源量まではるかに超越
してしまう。
豊富とされる鉄、白金すら2050年までに現有埋蔵量は枯渇してし
まう。
エコ概念の化石燃料資源への意図的な限定が際限もない金属の乱用
の歯止めを逆になくしている、つまり「CO2排出を抑制するならすべ
て許される」という一種の狂信的ドグマが金属消費のまさしく浪費を
もたらしているといえる。
特にBEV,HEV,PHEVがリチウム、銅、コバルトの驚異的な使用増大を
もたらす、BEVのバッテリーはとにかく大容量だから標準的なBEVで
すら使用リチウムの量はスマホ8000台程度になるとされる。リチウム
は従来は200年ほどの埋蔵量があるとされるが使用量の増加が桁はずれ
である。銅資源は非常に限られた資源だが、電気文明たる現代文明の
根底を支える金属だが埋蔵量は極端にすくなく、まともな鉱床は開発
され尽くしている。今後、開発される銅鉱床は極めて低品位で高コス
トなものばかりである。
要するにグレタ教、脱炭素、反CO2カルト、CO2一元論によって、
それゆえに金属使用が急増し、現実の枯渇に直面しているのである。
したがって今後の世界を支配するものは金属資源を支配する国とい
うことになる。BEVによって特に使用量が激増するリチウム、コバルト
、またベースメタルだが埋蔵量の極端に少ない銅、それは中国である
という現実である。
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