福永武彦『草の花』1954,暗い内容なのに明るい筆致の秘密
この世には内容は本当に暗いはずなので読んでみたら筆致
が明るく全然、暗い印象を与えない本もある。例えば「最悪
の戦場に奇蹟はなかった」(光人社)中国戦線、ガダルカナル、
インパール作戦に従軍の体験記だが、惨憺たる内容、内容は、
全く惨憺なのだが筆致が明るく全然暗い印象がなく読後感は
爽やかなのである。・・・・・・今本はそれと多少、似ている
ように感じた。
いわゆる、かって日本文学では堅固なる地位を占めていた
「サナトリウム」ものである。「私」という仮の主人公がサナ
トリウムで汐見という青年と知り合う。死に直面し、孤独に耐
えている男だが、当時まだかなりの危険性を伴う肺切除手術を
自ら進んで受け、その結果、死を招いてしまう。遠藤周作さん
も結核で肺切除手術、手術中に一時、心臓が停止するという
危篤状態に陥ったという。手術の直前、もし自分が死んだらと
いうことで二冊のノートを「私」に託した。「私」は手術で死
んだ汐見の巧妙な自己の意図を推察する。
この作品の主な内容は渡された二冊のノートである。汐見は
この二冊に自分の過去を、高等学校時代、旧制だが、汐見が深
く愛した藤木という美少年との交際や、この美少年が敗血症で
急死した後も親しく交際していた藤木の妹のことも書いている。
この妹はキリスト教に帰依しており、汐見はその妹を愛してい
ながら、また舞い込みかねない召集令状に怯えながら、孤独に
徹することが自分の生き方だと信じている。だが懸念通り、赤
紙がきて亡友の妹は他の男と婚約する。入隊で帰省の際も、汐見
は藤木の妹と会えない。
最後の章「春」で「私」はその妹の居所をやっと突き止め、
汐見の最後の様子を伝える。相手から長い手紙が来た。
そこでこの小説は終わるが、ともかくサナトリウム、死、孤
独、失恋的な状況、応召とどうみても暗そうな話ばかりだが、な
ぜか筆致が明るい、したがって読後感も暗さがない、「最悪の戦
場に奇蹟はなかった」と似たような面である。一つには若さが、
その明るさの要因というべきか、遠藤周作が一面明るいというの
もひんとになる?でもないだろうが、他の男と婚約の妹の動機づ
けが分からないし、本当は「ヒロイック」のはずが「ヘロイック」
はおかしい、もしや後に改められたのだろうか。
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