井上靖『わが文学の軌跡』1977,対談形式の肉声による文学的回想


 中公文庫でも出ていたが、もう絶版かな、中古で入手可能。
中間小説を基本に、といていいのか、自伝もの、現代小説、
西域もの、日本の歴史もので平安、戦国もの、中国もの、その
作品群は驚くべき多作だ、丹羽文雄さんと現代作家では双璧と
いうべきだろうか。・・・・・井上靖さんのまさに肉声、対談
による文学的な回想だ。少年時代、文学に目覚めるころから始
まって、まずは詩、散文詩を、次いで小説に手を染める。満40
歳で本格的なデビュー、この対談時点で70歳を迎えたところ、
井上靖さんは1907~1991、満83歳で亡くなられた。対談相手
は文芸評論家の篠田一士、作家の辻邦夫、そこで縦横無尽に回
想されているようだ。

 このときまでに井上さん自身、いくつも自伝的作品やエッセイ
を発表されている。「蒼き狼」にあの大岡昇平氏が「『蒼き狼』
は歴史小説か?」という、いささか返答に窮する質問を行った
のは論争的には唯一だろうか。

 この対談は非常に長時間のようで、井上さんが他者との対話で
これだけ話されたことはないだろう。いたって率直な感想や、大
胆な批評、本音としてn抱負や、それまでの自伝やエッセイでも
語られていない作家の核心的部分が述べられている。篠田氏も辻
氏も単に質問者としてではなく、それぞれ独自の文学感を吐露し
、それらが相合わさって三重奏的である。

この本は全体は三部に分かれていて、第一部は柔道に明け暮れた
旧制四高、金沢時代から京大を経て、といってまず入ったのは九
州大学の法文学部、それから京都大である。京大を出て大阪毎日
新聞の学芸部記者、そこで終戦を迎えた。作家デビュー前の青春
時代、「あすなろ物語」が参考にもなるが、青春と人間形成が語
られている。ただ大阪毎日の時代、「流転」で千葉亀雄賞を受賞
したが、このときは単発で終わった。その理由と、交友のあった
詩人たちの印象、新聞記者として身につけたもの、中国大陸への
出征の経験、エピソードが語られる。

 第二部、第三部では現代小説と歴史小説に分けて、自分の作品
を解題する。その作品を書いた動機、モチーフ、いかなる評価を
受けたか、戦後、佐藤春夫を訪問、『猟銃』を読んでもらったこ
と、芥川賞は佳作ともいい難い『闘牛』、その後、三十年足らず
で書いた小説は数知れず、その方向性も多岐にわたる、代作は
ないはずだから、よくぞ書けたものだ。

 いたって順風満帆な作家生活と思えるが、井上さん自身はそう
は考えていないようで、かなり困難もあったという。小説のあ
りかたに小説本来の面白さを追求するやりかたが、私小説重視、
という日本の文壇としっくりいかなかった、ことはあるそうだ。だ
が井上さんは『通俗性も備えた面白い小説』に邁進した。

 「たしかに、自分が体験し、感得したものしか信用しない、で
きない、それだけを武器として、あるいは材料にして人間を追求、
それはそれで文句のつけようはありません。でも私の場合は、小
説家の出発点から、私小説を否定したんです。よくもわるくも作
家としての資質がそこにあるのです。別に文学理論を勉強し、よし
、これで行くぞ、ではなかった。ただ評価はどうでもいい、自分の
道を歩くしかないと思いました。評価されたら有り難いが、評価さ
れなくとも自分の道を歩むしかない。ただうぬぼれはあって、いつ
の日か、傑作が書ける、大文学が書けるという気持ちは常にありま
す」

 その信念のしからしむところ、「女性思募」を根底に縦横無尽で
あったと思える。中間小説の帝王という評価もある、だがその中間
小説が収入のみならず、次の傑作の準備となったのも否めない。
巻末の参考文献、詳細な年譜も参考になる。

 井上文学で私は「あすなろ物語」が印象に残る。現代小説では「
射程」がいいと思う。


  東宝映画  「あすなろ物語」堀川弘通監督



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