高橋義孝『森鴎外』1954,鴎外を見る目は厳しい、「仮面」と見なす (1977年に第三文明社からも)

高橋義孝さんの森鴎外への記述では集英社から刊行された
「日本文学全集・森鴎外」Ⅰ、2の解説がこの本より十数年
以上はあとのもので、これが決定版かもしれない。だが、も
との原石というべき「森鴎外」である。
後年の再度出版の「第三文明社」版の序文にこうある
戦争が終わって間もないころ、東京の一出版社から、私の
書いたものを何か出したいという話があった。私は戦争中に
、暇を見て私なりに「鴎外論」のようなものを大学ノートに
書き綴って、何かまとまりがついて、これを原稿用紙に書き
写し、出版社に渡した。その翌日、その出版社の人が私を
再訪し、実は新宿の闇市で買い物をしているうちに、私の
原稿を包んだ風呂敷を盗まれてしまった。・・・・・だがノ
ート自体は残っていたので、さらに定稿を作った。これが
本になった初稿の「森鴎外」である。それから数年後、新潮
社からその「森鴎外」を新潮社・一時間文庫の一冊で出し
対と申し出があり、初稿を大幅に書き直して『森鴎外』新潮
社、一時間文庫、昭和29年、9月15日、となった。今回、幸
いにも新潮社の承諾を得て「一時間文庫」版を第三文明社・
レグルス文庫の一冊として出すことになった。仮名遣いを
改めただけの復刻版である。
といういきさつである。
「森鴎外とともに事実上なにかが終わったと思う。そして
夏目漱石とともに事実上なにかがはじまったと思う」と本文
の冒頭にある。著者は鴎外のさまざまな作品を論じて、最後
に『渋江抽斎』、「鴎外が創造し得たもっとも小説らしい小
説であり、『渋江抽斎』ではじめて鴎外は芸術家になった」
とある。だが竹山鉄氏の「盗作疑惑の研究」では『渋江抽斎』
の高く評価されている部分はすべて資料、その子孫の文章の残
した資料の引き写しの部分で、高橋義孝の評価は誤りといえる。
鴎外が『渋渋江抽斎』を書いたのは
「鴎外が自分の血統の記念碑として、自分の血統を明らかに
したいという深い促しによるものだっただろう」と解釈してい
る。その血統とは高橋によれば
「鴎外はどうやら自分の中に一人の徳川武士を見出していた
らしい」
というのだそうだ。
だから鴎外の文学とは
「遠く戦国時代に芽生えて仏教と儒教とに理論的に裏付けら
れた徳川時代、すなわち戦争体験という本来の推進力を失った
、今はただ被支配階級に権力的に君臨するという目的しか持た
なくなった、極度に形式化した徳川時代の武士のイデオロギー、
そのイデオリギーを中心とした生き方としてのストア主義、克
己の美学であった」
ろいうことになる。
このように鴎外を規定してしまうと「森鴎外とともに事実上
何かが終わったと私は思う」
となってその「何か」とは
「鴎外において一つの大きな時代が、日本の具体的な歴史に
おいても、精神や心情の歴史においても、大きな一時代が終わっ
てしまったといっていい」
という結論がたやすく生まれる。それを別の言葉で高橋が言え
ば
「鴎外とともに終わったのは感情拒否の生であり、漱石ととも
に始まったのは感情容認の生であった」
と改まった言い方で、本当かな、と思うが、端的に言えば感情
を押し殺すか、押し殺さず外へ出すかの違いだろう。これが鴎外
において「何かが終わり、何かが始まる」ということであったり、
「日本の具体的な歴史において大きな一時代が本当に完全に終
わる」
ことであったりするのは、ちょっと大げさの度が過ぎると云う
しかない。
しかし高橋は「本当の完全」へ執着して「鴎外があれほど完璧
に一つの時代の精神史を終わらせたというならば」
どうして鴎外の作品が次の時代に残り得ただろうか、という
疑問を提出する。
それは「ニヒリズムの生」ということになっている。その理由
は高橋は
「ニヒリズムは人間実存の限界状況における最高の人間的可能
性の一つ」だから、だという。
これはなんとでも解釈できそうな文章であり、何をいいたいのか
本当のところわからない。そもそも「ニヒリズム」の意味である。
鴎外のい遺書を利用し「ニヒリストも仮面の一つだった」と断定
する。
この本だけではわからない高橋義孝さんの鴎外論は集英社の「
日本文学全集」森鴎外、1,2の解説文を読まないと理解できな
い。これぞ高橋義孝の鴎外論の極北である。
それから引用すると
そういう意味合いから近ごろ私は『渋江抽斎』に辿り着いた鴎外
の正体を見つけたと思うことは、「ばかばかしい」と考えるように
なっている。『渋江抽斎』もまた一つの仮面にしか過ぎない。
生前、鴎外と交渉のあった田代倫という人はこう書いている。
「ある時、鴎外さんの人生観を尋ねたら『マルクス主義も知って
いる。これからの世界がどうなるかも予見はしている、だが私は、
私の本性も知っているのから、私の現在及び将来の与えられた
期間において、何をなすべきかを考え、実行している。私として
は、今のところ、ハルトマンの無意識哲学以上に私の共感を呼ぶ
ものはないのだ。その点で私は極端なペシミズムだ。悲観論者だ、
・・・・・・死ぬ迄は生きているし、生きている以上はその日の
生活に追われるので、進んで社会の革新も、引いて沈黙もできず、
結局、何の理想もなく、死ぬ日を待つ。死刑を宣告された囚人の
ようなものだ。刑の執行をまって独房でまっているような生存を
続けているのだ」
ここで高橋は
「自由そのものは我々が想像もできないし無も考えられないよう
に自由はいつも、あるものからの自由、あるものへの自由、ニヒリ
ストとて同じことで、手放しの絶対のニヒリストも考えられない。
それは動物でしかない。官僚というのも鴎外の場合は二ヒリストの
要件の一つだった。世の中の尋常な精勤であってはならないのだ。
そしてニヒリズムは人間実存の極限状況における最高の人間的
可能性の一つだ」
結局、1954年の「森鴎外」を後年の解説でも繰り返しているに
過ぎない。
正直、理解出来ない文章である、わけがわからない。
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