内田百閒『禁客寺』旺文社文庫、正直、ナンセンス、百閒先生でも神格化は必要ない

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 「禁客寺」とはいうまでもなく、「金閣寺」をもじった
もだと思う。モジっただけでなく現実に百閒先生は自宅の
庭に池を作り、その池の向こうに離れを建てて、その離れ
に命名したのが禁客寺だそうで、金閣寺を連想させ、しか
も来客は一切お断り、というのである。その意味を込めて
いるという。これは面白いネーミングには違いない。

 この「作品」は旺文社文庫で出ていた。旺文社文庫は文芸
という面で非常に素晴らしい業績がある、百閒先生の作品の
文庫を十数冊出しているというからすごい。無論、旺文社文
庫自体が消えたわけであるが、それらは貴重な本として高値
がついている、まして内田百閒文庫は、である。

 百閒先生は自宅の庭に離れができた時、なんと命名しようか
と思案し、この名前を思いついて内心、悦に入ったと思う。
で、『禁客寺』はそのような着想の面白さで綴られた話だが、
これに関連の随筆もあって『門の柳』、『けふの瀬』などで
ある。『門の柳』は自分は内燃誕生日に後輩たちから祝宴に
招待されているが、いつまでも面倒をかけるのはいけないと思
い、それには寿命を断つのが一番と思え、死ぬには柳の木で首
をつるのがこの上もなく風流だと思えたとか。

 そこで門のわきに柳を買ってきて植えたが、いまだに幹が人
さし指くらいにしかならず、首をつるには程遠く、じれったい
のでこんな情けない柳の木でも首がつれるよう、自分がやせ細
ると思いついた。そのためには不養生をしたらいい、だから食
べタイだけ食べ、酒も飲みたいだけ飲み、というような調子だ。

 基本アはウィットとセンスの絡み合う文章であり、面白いも
のは面白いが、ただすべての文章がそうでもなく、単にナンセ
ンスの極みで面白味さえなく、文章も低調に終始、その代表が
あの代表作とされる『阿房列車』シリーズであろう。それらは
ただ中村武士かだれか、中村指名の誰かが随行し、遠足の作文
んいようで、朝何時に起きて、駅に駆け付け、列車の窓から何
を見たか、など本当に退屈この上ない。

 百閒先生は何か面白いことを思いつき、それが発展していく
ような文章はいいが、そうでもないと面白くもなく、退屈を極
める。百閒先生だからと言って神格化は必要ない。面白い随筆
はまず三分の一あるかなしか、残りは退屈である。

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