横溝正史『幽霊男』長編だが、ただ謎解きだけ、他はすべて非現実的であまりに安直

横溝正史作品で作品名に「幽霊」がつくのは歌舞伎界を描い
た『幽霊座』、と『幽霊男』である。『幽霊男』の方がえらく
長編である。
ヌード写真モデルを紹介する『共栄美術倶楽部』なる怪し
げな業者がある。その事務所には専属のモデルを目当てにし
て毎日のように遊びに来る男が三人いる。それは加納という
外科医、菊池というヌード写真で生計を立てる男、さらに新
聞記者にはなったものの、仕事も与えられず干されて落ち込
んでいる竹部という青年である。
ある日のことだが、この共栄倶楽部の事務所に「佐川幽霊
男」と名乗る、まるで幽霊のような姿の画家がモデルを求め
てやって来た。それだけならいいが、幽霊男は共栄倶楽部の
モデルの殺害を宣言する。その宣言どおりに、モデルは一人
ずつ殺されていく。殺される場所は温泉のホテルの池の中と
か、ストリップの舞台の上であったり、猟奇的な殺人が続く。
この連続殺人事件の途中から、金田一耕助が現れる。だが
それをもってしても殺人を止めることはできない。挙げ句に
共栄倶楽部の主要なモデルが皆、殺されてしまう。で、犯人
逮捕は全くの偶然からである。
金田一が半ば、安楽椅子探偵のように犯罪を分析し、その
論理の糸を手繰って犯人を特定、・・・・でなく偶然に犯人
が捕まってから事後的に分析という、つまり他の横溝作品の
金田一耕助と同じく、真の意味でストーリーに関わらず、事
後的に分析する、説明役をする、というに過ぎない。これは
横溝作品の悪弊である。
連続殺人事件自体は、最初に一人の犯人が偶然に捕まるの
だが、それは真の犯人ではなく、真の犯人はこの偽装犯人を
利用して殺人を続けていた、この作品の面白さはこの店しか
ないが、これとて斬新なものとは思えない。だがこの部分は
精密な記述だと思う。
だがその精密さも文学作品として見ると、あまりに安直な
会話や無駄な描写で散漫を極めている。論理自体はなかなか
精密に組み立てたっれているが、その周囲の状況、社会的状
況、動機の必然化などは全く現実から遊離しており、しょせん、
この種の探偵ものは文学作品にはなり得ないのか、と思わせて
しまう。
神田から大塚の護国寺まで自動車を自転車で追いかけるな
ど奇妙だし、捨てた自転車が見つからないのは書いているう
ちに著者が忘れた?と思うしかない。浩吉という少年の出現
があまりに好都合すぎて、古いが猿飛佐助みたいだ。劇場の
舞台にしたいが二つ吊り下げられたことは面白いが、では
誰がどうやった?説明がつかない。
現実の世の中は犯人にとっても思うようには行かない。その
思うようにならない現実を、かくも都合よく思うように実行で
きるのか、それが社会推理的に追求されたら松本清張的になり
得たと思うが、江戸川乱歩が『獄門島』を読み、「架空的手法
でのみ描けばいい味を出しているといえるが、現実的手法で
描くと、何も殺人など行わなくても他の方法があるはずなのに、
動機の必然化がなされておらず、読者は釈然としないのではな
いか」この作品評は横溝の多くの作品に当てはまる。
なかなかの長編で読む通すのは容易ではない。だが終わって
みれば安直な取ってつけたようなトリックだけでは例によって
例のごとしだろう。
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