『三人のマリア』1977,新ポルトガルぶみ(人文書院)幻の名著

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 幻の名著とされていた『三人のマリア』が藤枝澪子の訳で
京都の人文書院から刊行されたのが1971年、上下二巻である。
この本の、もちろん原著だが、の由来は興味深い。その原著
の一冊がポルトガルからたまたま、というのか、国外に持ち
出された一冊が1974年にフランス語、英語に訳されるとレク
スプレスとニューヨークタイムズに取り上げられ、その美し
い文体と底になれる抵抗の精神に、新しい文学の出現とおおい
に騒がれ、日本でも一部の人の注目を浴びていたという。
日本では「幻の本」とも呼ばれていたが、それが人文書院から
発刊とあいなった。

 日本人はまずポルトガルの政治情勢など関心もなく知ってい
るひともいないに等しかったが、ポルトガルの独裁政権と噂の
高きカエターノ政権下で『三人のマリア、ー新ポルトガル踏み」
が刊行されたのが1972年であった。だが発刊三週間後で発禁と
なり、その著者たちは「出版の自由の悪用」、「公序良俗の侵
害」という理由で逮捕された。それは第二のソルゼニーツイン
事件として注目を浴びた。それが「三人のマリアの闘い」の始
まりとなった。

 発禁前にフランスに送られていた一冊がきっかけで言論、思
想の自由、女性解放を旗印にボーヴォワールら各国の女性が立
ち上がり、結集し、「三人のマリア救済」を呼びかけ、集会が
開かれた。

 こうした国際世論の盛り上がりでポルトガル政府も著者らを
保釈し、公判も延期するうちにポルトガル革命が起き、1974年
5月に無罪判決を勝ち得た。

 で『三人のマリア』とはそのタイトル通り、女性三名による
執筆である。マリア・イザベル・バレノ、マリア・テレサ・オル
タ、マリア・ファティマ・ベ^リョ・ダ・コスタ、ということ
である。刊行当時、すべて30代の主婦であり、当時のポルトガル
では女性であることは二十三重の制約を受けていたわけである。
これを打ち破る、何か突破口となるものを探していた彼女らは
ポルトガルの古典、一人の尼僧のマリアナ・アルコフォラドが
フランスの将校、ノエル・プートンヘあてた『ポルトガルぶみ』
に求めたのである。これは佐藤春夫訳でやはり人文書院から出て
いた。

 「自分自身で生きる生を持たず、世界から隔離され、犠牲に
され、自己犠牲に身をささげるのが尼とすれば、尼でない女性
はいるだろうか」と書く現代のマリアたち、マリアナを自分た
ちの仲間、シスターと見なし、『ポルトガル踏み』がいささか
も古びず、今日の女性の状況と深くかかわることを、17世紀の
バロック的文体とニューノベルの形式を駆使して静かに、情熱
を込めて語るのである。



Maria Isabel Barreno 10 July 1939 – 3 September 2016

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