早いか遅いかだけの違い、人はいずれ一人ぼっちになる、だから友達が大切

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 最近、妙に寂しくて仕方がない。もし、娘が家から出たら、
と思うと、事実、多くの家庭は就職、結婚で娘は家を離れる。
でも家に住み続けたい、というタイプと早く家を出たい、と
云うタイプに分かれる。母親は娘が蜜の味、の場合が多い、
だから、・・・・・なのであるが現実はむずかしい。とにか
く、いずれ夫婦だけ、その先は一人残される、男が先に逝け
ばいいが、それだけは分からないものだ。こんな寂しいこと
はない。

 私のように幼いころからずっと、人聞きが悪いが母親の殺意
の中に過ごしてきた人間は、とにかく温かい家庭を作りたい、
子供には無限の愛情を注ぎたいという一心で生きてきたわけで
ある。その愛情を注ぐ対象が家庭からいなくなるとは、まさに
人生の終わりというに近い。育った家庭は、とにかく、母親は
私が憎くて仕方がなく、全く記憶がないころから激しいいじめ、
虐待を続けていたので不憫に思った叔母が貧しさも顧みず、大阪
のアパートに引き取ってくれて長く住んだ。その後も間欠的に
虐待が収まる時期もあったが、それでも散々な時期が相当あった。
とにかくあの母親は私への憎悪に殉じた?といって差し支えない
人生だった。それが、理由もないのに殺意、ではなく最後、二十
数年、私が遠路を通って母の世話をしていたのに、92歳ころ、い
きなり「殺す!」生涯を貫く本音の発露だった。理由がないではな
く、生活を支えている私を「殺す」の電話だから、まさに本能だっ
たわけである。「宇宙開闢以来の最悪の子供への憎悪」はまことに
妥当というほかない。最晩年は三年間、脳病院の病棟で過ごした。
まずふつうは聞かない話であるが、あの異常さを考えれば、私が放
りこんだわけではないが、別に出してあげようなどと全く思わなか
った。顔は人間でも実は鬼畜だったのだから別に悲しい、寂しいと
いう気持ちなど持たなかったと思う。

 そういう私だから家族は宝そのものである。暖かで愛情に満ちた
家庭が全てであるが、さて、もし娘が出たら、と考えたら、もう私
は大原にでも隠居したいような気持ちである。人間それまでのプロ
セスは様々でも、早いか遅いかの違いはあっても、いつか一人にな
る、酷薄な現実である、最後は皆、独身に戻る、


 その時!大切なものは友人である。友人がいるか、いないか、こ
の差は大きすぎる。日頃から友達は大切、にしたいと思う。友達と
いって基本はfacebookである。

 

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