北朝鮮1967年5月のクーデター、金日成の唯一神化を図るため目障りな幹部、朴金喆を粛清


 端的に言うならば北朝鮮は自称金日成、本名、金聖柱を
唯一神とする新興宗教の神政国家ということになる。付随的
な事項は数多いが、自称「金日成」のみが尊い、その血統に
或るものが国家を絶対的に統治する、内実は監視と密告、秘
密警察による超スターリン主義国家の内実の新興宗教国家と
いうことになる。その時代錯誤の神政国家を維持するために
核兵器、ICBMを開発したわけである。その核開発は国内の絶
滅収容所と一心同体である。絶滅収容所の囚われの人たちの
犠牲の上に核開発を行っているのである。唯一神、「金日成」
金聖柱のみ尊いのだから、その神格化強化のために弾圧が吹き
荒れることになる。

 だが、ソ連極東軍によって小規模な部隊の頭目に過ぎなかっ
た金聖柱が「金日成将軍」として33歳で平常の民衆の前に姿を
表した、そのソ連の常軌を逸脱した大抜擢はソ連軍の朝鮮半島
北部の占領に全面協力し、ソ連の施策に完全に呼応できる人物
を見られたからである。年季が入った歴戦の民族解放闘争のツ
ワモノはソ連といえどもその占領に好意的であるはずはない。
だが金聖柱はソ連占領体制に全面協力する。

 以後は金聖柱、自称「金日成」を絶対的な唯一神とする恐怖
政治の独裁国家へ邁進、ということで粛清は、「唯一神」の新
興宗教国家確立に目障りな幹部の粛清を行い続けた。だが、現
実、実績と実力ある幹部の粛清は容易ではない、なぜなら、金
聖柱自身がソ連軍の眼鏡にかなった、本質的に実績もろくにな
い若造でしかなかったからである。その手段は徹底した無慈悲
な恐怖政治、暴力、弾圧、密告、監視社会の「深化」であった
のはいうまでもない。

 だがそのじわじわと絶対的唯一神、侵攻宗教の神にして教祖
になるための最終の粛清劇が1967年5月4日から8日までにまず
は起こったことである。ナンバー2、あるいはそれに近い幹部
は粛清するという伝統がここに生まれた。唯一神の教義を毀損
するという不安からである。

 それまでは朝鮮労働党の主要幹部、朴金喆パククムチョルは
いわゆる甲山派の頭目として重きをなしていた。1967年5月4日
から8日まで平壌での朝鮮労働党中央委員会第四期第十五回全員
会議のことである。金日成こと金聖柱は自己の唯一神化への大き
な障害と朴金喆をみなし、粛清の機会をうかがっていた。

 韓国軍諜報機関出身の韓国作家、李恒九のノンフィクション作
品、「金正日とその側近たち」の中に描かれている。

 全員会議、首席団は金日成、最高人民会議常任委員会委員長の
崔庸健チェヨンゴン、第一副首相金一キムイル、党書記、朴金喆
、李孝淳、ら

 金一が「いくつかの問題について」と題し、経済建設と戦争準備
の併進という党路線を一部の重要幹部が理解せず、戦争準備に消極
的であったの述べた。

 次の演説は、軍幹部の呉振宇、党序列25位、異例である。朴金喆
を名指して、「党政策貫徹のための組織指導を適切に行わず、唯一
思想体系確立を怠った」とぶち上げた。

 これは金日成、金正日らの差し金であり、「唯一思想体系、とは
金日成を唯一神とする教義、新興宗教ということである。現実、抗
日闘争など長期の戦いでは圧倒的に朴金喆の方が金聖柱よりは上だ
し、金聖柱以下という歴戦の幹部が珍しいだろう。だが、それが気
にいらないというのだ、唯一神の宗教の確立に邪魔なものは抹殺せ
よ、である。
 
 呉の長い演説が終わると崔庸健は金日成親子らと密談、兵士を
会場と周囲に配置させた。

 午後は崔の朴金喆攻撃演説で始まった。次々に壇上に立つものも
朴金喆攻撃であった。会場は朴金喆への憎悪で充満した、会場から
朴金喆への攻撃のヤジが飛び交い始めた。そこで、わざとらしく
「金日成」が騒然たる会場を抑え、「朴金喆同志の自己弁護も聞い
てやろう」と言い出した。全ては筋書きである。

 だが朴金喆は席にいない、知らぬ間に二階に上がっていた

 「同志諸君!よく聞け、私は革命の同志を日本人に売ったことは
ない。栄達を望んだことも、過去の自分の闘争を美化したこともな
い。私は今、ここでこの胸を刀で切り裂いて私の真意をお見せする。
私は真実と潔白を守ってここで死ぬ。私の死ぬ姿を見ろ」

 と云い終えて胸を切り裂いた朴金喆は二階から落下した。すぐに
病院に運ばれ、一命はとりとめた、が退院後、協同農場に追放された。
その仲間たち数十名も逮捕され、粛清された。

 これこそが唯一神、新興宗教恐怖国家、北朝鮮の真の誕生だった。

 朴金喆は翌年、銃殺で粛清された。

1937年10月、日本の憲兵に逮捕された当時の朴金喆
(後列右端)

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