井上靖『波濤』1959,井上靖の現代小説としては不出来な作品、過去の作品の要素の寄せ集め

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 井上靖は非常に多作な作家で、そのなかでも特に現代小説
が多い。しかも「中間小説」と呼ばれるものが現代小説の中
でも多い、中間小説こそは井上靖の文学的な本領ともいって
差し支えないとは思うが、その中でも、出来不出来はあるの
は当然である。この『波濤』はタイトルは見たことはあるが、
あまり読む気にもならなかった、話題にすらなっていないか
らでもあるが、ざっと読んでみた。内容はなにか冴えない。
登場人物が全て冴えない。

 だが長編である、女性が主人公となっている。実は井上靖
の作品としては珍しい、その主人公の女性の心理を作者は、
どこまでも最後まで追求しているようだ。

 主人公の女性の名前は久松圭子、一年前に福井県の城下町
から上京してきた。福井市か大野市か、東京で雑誌社に勤め
ている。上京後、一年間でも彼女は故郷に残してきた恋人!
の藍木克也に、毎月三通ずつ恋文を書き続けてきた。それら
の手紙の最後には、いつも「一日も早く上京なさってくださ
い。早く早く大急ぎで」との文章で終わっている。それとい
うのも圭子が上京した理由が恋人より「一足先に上京し、
東京での二人の生活の下拵えをしておく」という意味があっ
たという。

 藍木は東京の大学ではドイツ文学を専攻していて、郷里では
中学の教員をして小説家になる夢を持っている、だが当時はま
だ旧制中学に対し、新制中学、縮めて新中途読んでいた時代、
どうもドイツ文学専攻の学徒には似合わない設定だ。

 その藍木は圭子から三十何通目以下の手紙をもらってやっと
上京の決心ができた。ここらが非現実的な話である。ともかく
、郷里の家を整理し、上京する旨を圭子に書き送った。圭子
はそれが嬉しくなって雑誌社の同僚に話す。そうしたら蔦沢
という雑誌記者が突然、どこかに電話をしている「じゃ、連
れていきますから。意見してやって下さい」なんて話してい
る。蔦沢が電話した相手は芝枝春一郎という画家で、彼に圭
子が文学青年と結婚することを阻止してもらおうというので
あった。

 圭子は蔦沢に連れられて銀座の酒場に行って芝枝に会った。
だが芝枝は圭子に意見はせず、蔦沢と云えば勝手に酔いつぶ
れてしまった。芝枝は帰りに圭子をアパートに誘う。だが、
圭子は踏みとどまる。だがその夜から圭子の心は芝枝になび
いてしまった。だがら藍木が上京しても、もう嫌いで仕方が
なくなっていた。・・・・芝枝がパリに画家の修行に行く
ことを決意したとき、圭子に「僕には僕の仕事の滅びが見え
ているんです。あなたの力で立ち直りたい」、圭子は体をゆ
るす。・・・・・芝枝はフランスで航空機事故で死ぬ、藍木
は東京でおばの知り合いの社長という宇津木の家に居候して
いる。・・・圭子は結局、藍木と結婚する。藍木は文学賞も
受賞する、その姿を見て圭子は離婚を決意する。雑誌社の同
僚の矢野井という記者二一度連れて行ってもらった石廊崎に
行こうとした。伊豆の山間の彼の実家、両親の暖かさを思い
出したからである。その家につくと矢野井も戻っていた、
二人は石廊崎までドライブする、石廊崎で降りて岩礁の
上に立った圭子

 「髪を背後に飛ばせて、足元に砕ける波濤の前にいつまで
も立っていた」

 ・・・・・これが大雑把なストーリーだが、これで読者は
何を感じるだろうか。要はこの小説の諸要素はすべて過去の
多くの作品からピックアップしてより集めたものばかりで、
伊豆の山間と来たら井上靖の育った「あすなろ物語」、登場
人物もそれまでの現代作品の誰かそのものだ、だが登場人物
の描き方が全ておよそ不愉快な人物としてしか描かれていな
い。このような不快な人物に取り巻かれた圭子の心理も、な
にか納得できない気分になる。単に軽薄な女としてしか描か
れていない。長いだけで非常に不出来な作品だろう。

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