奈良本辰也『高杉晋作』1965,中公新書、伝記になりにくい人物をどう捉える

私が高杉晋作でまず思い出すのは1963年、昭和38年11月
から1964年8月30日まで続いた大阪・朝日放送の制作のテレ
ビ・ドラマ「高杉晋作」である。宗方勝巳主演であった。
実際、長くそれ以上の高杉晋作の知識はほとんどなかった、
かもしれない。予告編で幼い男の子が突然泣き出すシーン
が印象的だった。
歴史的に見るなら高杉晋作は品川御殿山のイギリス公使
館襲撃計画者として、また長州藩奇兵隊の組織者として、
幕末での攘夷派の行動型の代表的人物だった。そこから幕末
ものの小説やテレビドラマで大いに活躍したというわけであ
ろう。非常に大衆的人気がある、歴史上の人物であることに
間違いはなく、ある意味、坂本龍馬と並ぶほどかもしれない。
だが歴史学として正視しにくい?部分がある」のか、あまり
本格的な評伝も乏しかったが、もうかなり前か、」1965年、
昭和40年に刊行された中公新書の一冊としての「高杉晋作」
奈良本辰也はその稀有な本である、と思えるが。
高杉晋作はわずか29歳でこの世を去った。まだ子供みた
いな年齢である。その中で火のように燃えた生涯だった。先
の見通しが効く、ちょっと天才肌だったようだ。残された写
真も非常に細い顔、つり上がった目でギスギスした印象を受
ける。明治のほぼ前夜に倒れた。もし生き延びていたら、ど
ういう政治家になっていただろうか。
あらためて歴史上で捉えると云うのが意外に難しい。
「この高杉晋作という人間に、私は強く心を惹かれる。彼
はあの変革の時期に、思い切り大胆に生きた。百姓も町人も
武士も関係なく、その人間の内部に潜む国民的情熱を育て上
げ、その力を結集して、徳川三百年の封建体制を叩き潰した。
その行くところ必ず波瀾が生じ、怒涛を呼んだが、同時に鋭
い読みがあり、深い策謀が秘められていた。取り澄ました秀
才より、既成の枠を打ち破る奔放な人間を私は好む」
確かに早く死んでしまったから、なのだが高杉晋作という
人物は、人間的魅力には富んでいる。自らの行動を狂挙と呼
び、自分を「西海一狂生東行」と呼んでいる。この狂生こそ
は幕末でも傑出している。行動は目まぐるしい、指導的立場
を常に維持した点は天才的だ。奇兵隊の創設も、これなくし
て大室寅之祐の明治天皇もあり得なかっただろう。こういう
人物は史実を追って評伝を完成は難しい、いったいそれが「
真実かどうか」が分かりにくいからである。本当はウソだっ
た、なんて歴史では際限がない。著者は「東行先生遺文」を
片言隻句、よく利用し、高杉の思想と行動を追求する。それ
がどこまで真実やら、確証もないが。
いかに評伝をうまく書いたにせよ、実際の高杉はそれで、
色褪せる。難しいものだ。
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