豊島与志雄『山吹の花』1954,文学史上に燦然と名を残す豊島与志雄の遺作、

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 芥川全集の書簡などを見ると、やたら「豊島与志雄」とい
う名前が出てくる。実際、芥川、久米正雄、菊池寛らと一高
時代、「新思潮」を創刊したメンバーでもある。仏文で大学
を出ても仕事は乏しく中村武羅夫に貰った仕事『レ・ミゼラ
ブル』の翻訳は今に残る不滅の業績である。戦後も日本ペン
クラブ、日中友好協会の世話役、芸術院会員など貢献は大き
かった、以前のwikiには『猫好き」で猫についての作品が多い
ということも、ちゃんと書かれていたが、誰が書き直したの
やら、その猫関連の記述がない。文学者の猫好きなら大佛次
郎、松村梢風と並ぶ、猫好き三羽烏だろう。

 創作についてはあまり評価されていないという記述がwiki
にあるが、あまり数を書いたわけでもないので、それも妥当
だが、しかし決して評価し得ない創作ではない。長編もあっ
た。ただフランス文学翻訳の功績が大きすぎたこともある。

 仏文のよしみか、太宰治に敬愛されていた。太宰治の葬儀
委員長も行ったくらいである。

 さて亡くなったのは1955年、昭和30年、その前年に刊行さ
れた短編集『山吹の花』、これが遺作になった。享年は64歳
であった。『山吹の花』古書サイト「日本の古本屋」に多数、
出品されている。

 その短編集『山吹の花』

 「湖心に眼があった。青空を映し、空に流るる白雲を映して
、悠久に澄みきり、他意はなかったが、それがともすると、田
宮の眼と一つになった。田宮の眼が湖心の眼の方へ合体してゆ
くのか、いづれとも分からなかったが、そうなると、眼の中が
さらさら揺いて、いろいろな人物事象が蘇って見えた」

 これは表題作の「山吹の花」の書き出しだが、堂々たる文章
である。

 主人公の田宮は娘を失い、未遂に終わったが、愛人には毒を
飲まれた。湖心の眼と自分の眼が合ったときに浮かんでくるよ
うな人事物象から逃れるつもりで奥日光の丸沼に一人できてい
るのである。この作品は民が逃れようとしていた人事物象が、
この山間の湖水のほとりまで追いかけてくる心象風景を、写し
とったのである。

 田宮の心の中には失った娘への面影や、愛人への思いなどが
揺れ動いている。さまざまな世の煩いに負けて毒をあおぐ前に
「私はただ清らかに生きたかったのです。それが、あなたを責
めたり、他人を責めたり、まるでヒステリーみたいな様子にな
ってしまった、そのことが悲しいのです。もうつくづく自分が
いやになり、世の中がいやになりました。何もかも穢らわしい
という感じです。お別れしましょう。清い愛情のために、お別
れしましょう」

 と泣いた愛人のいない生活が無意味空虚であると思い知った
田宮は、自分の死を思うようになった。だが愛人の回復を知ら
され、生の方向に戻ってきたのである。

 この短編集には合わせて八篇の作品が収録されている。「ど
ぶろく幻想」はボスの脅迫に怯えて自殺した日本人妻を失った
中国人の話、「霊感」は特別な能力を持つ戦争未亡人の話、

 「絶縁体」は子供の遺骨を小包にして郷里の寺に納める変人
の話で、基本的に、どの作品もやや風変わりな人物の孤独の所
業のようだ。

 「囚われ人ー寓話」会議の化け物のような議一、時間の化身
の時彦、愛欲の化身の愛子、酒の象徴のような酒太郎、煙草の
煙吉、・・・・・・などに取り囲まれた正夫という人物が消滅
するまでの話、


 どれも個性の強い、文学史に産前と名を残す大家の作品だが、
全体に虚無が漂っているのは否めない。辿り着いた境地の虚無
だろうか。刊行の翌年に豊島与志雄は逝去した。

 

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