萩原葉子『木馬館』萩原朔太郎の不遇な長女の終戦前後のアパート生活

萩原葉子さんは詩人の萩原朔太郎の長女として、またダンス
好きとして知られていて、その事情に通じていないと偉大な詩
人の娘としてお嬢様として育った、とつい誤解してしまいがち
だが、現実は大違いである。1920(大正9年)~2005,享年84歳。
萩原朔太郎の最初の妻、その長女であるが8歳のとき、1928年
、昭和3年に両親が離婚、朔太郎の母親に育てられる。朔太郎は
1942年、55歳で死去、葉子さんは辛酸を嘗め尽くした。1944年
、職場の上司と結婚、息子誕生、1954年離婚、・・・・・そう
いう萩原葉子さんの事情を知った上で読むとわかりやすい。
葉子さんは1959年に「父・萩原朔太郎」を上梓、これで日本
エッセイストクラブ賞を受賞、文筆家生活に入る、それに続く
作品が「木馬館」である。
だから終戦前後は、1942年に朔太郎死去、1944年、職場結婚、
194年離婚、だから結婚生活時代ということになるだろうか。
「木馬館」で作者は詩人の娘から脱却し、一人の庶民、主婦と
してアパートの猥雑な共同生活の一人の、いわば、おかみさんと
なって現れる。戦争末期、1944年11月3日、に職場の上司、古賀
と結婚、空襲を避けるため郊外のもう今にも朽ち果てそうは粗末
な木造アパート、木馬館に引っ越す。世間知らずといえる彼女は
戦時中は防火班長の黒岩たちに終始、怒鳴られ、叱られてなんとも
、おろおろしている。
そして終戦、極度の食糧不足、生活難、買い出し、ーと当時の
都会に住んだ者の生きるためのなりふりかまわぬ生活だ。体験し
なかった者は実感しにくいが、終戦後数年は最低生活であった。
農家や商人に頭を下げまくってタケノコ生活、他人が何を食べて
いる?に一喜一憂、ミシンや毛織の内職、それでいてダンスやマ
イホームをもつことへの不思議な活力を持った彼女、萩原葉子さ
ん、なのだが、その生活ぶりを女性視点で生きいきと描いている。
ともあれ、木馬館は生活の縮図、戦後、というか終戦後生活の
縮図のカオス、高利貸しの情婦で口うるさい家主の杉江きんババ
ア、進駐軍のオンリーさんのK子、娼婦のアケミ、黒岩の妻になっ
た生活力旺盛な女優のような三枝子、人の生活ばかり監視する、あ
き江、夫婦仲の悪い君子、・・・・など書ききれ無い雑多のアパー
ト住人である。
基本は井戸端会議であり、」他人の生活の覗き見と悪口である。
だが作者はそのような井戸端鍵に入れず、銭湯にも一緒に行けな
いので、半ば不具者のように扱われる。その苦難の生活の中で彼
女は出産し、健気に生きていく。この生活描写こそがこの作品の
価値で、厄介で下品なアパートの他の女たちも実は涙もろい、根
は悪くない人間と見抜いているようだ。
で女性たちはすごく生き生きと描かれていて、逆に男どもは、
全く精彩がなく、影絵のようだ。男女公平に描く他の女性作家に
は書けない作品であろう。萩原朔太郎の娘がこれほど苦労された、
とはと感じいるが、あの時代である、戦争に明け暮れた日本のそ
の結果であった。だが庶民は生き抜くということである。それを
見事に文学に昇華し得たのだ。
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