親の死より、猫の死のほうが遥かに悲しい、親の死は大往生、猫の死は無限の心の傷み


 これは事実だった、さらに云うなら、猫とハムスターである。
猫を看取るって田舎ではなかなか難しい、どこかに行って死ん
でしまう、こととうちの親が無慈悲にすててしまったからであ
る。いやしくも、命あるものを「捨てる」など絶対に許される
ことではない。まして長年一緒に生きた家族同然の猫、その老
いた雌猫をある日、突然「捨ててこい」と親父に捨てさせた、
あの「母親」、とにかく事実上、最後の言葉!が「殺すけ~」
子供時代から数知れず私に「死ね」「殺す」の類の許されない
暴言を浴びせた、しかも絶対に冗談で言ってはいないことは明
らかだった。

 ペットの死のほうが親の死より悲しい、とはよくいうが、私
の親は悪い意味で特別、宇宙開闢以来レベルだから死んでも涙
ひと粒でないのは当然としても、普通の親でも天寿をまっとう、
それに近い年齢まで行きたなら、それなりに死は悲しいだろう
が、泣けるほどではないと思う。むしろ大往生、めでたいわけ
である。祝うべきだろう。

 だがペット、特に愛する猫との別れは悲しい、もし看取れば
号泣だろう。だが親に捨てられたり、惨殺された可哀想な猫た
ちを想うと、もう何十年、半世紀近く経っても涙が滲んでくる。
家族同然の黒猫を捨てさせた母が死んで、私は猫の霊に報告せ
ざるを得なかった。しかも心情を込めて。

 それと白いジャンガリアン、これがハムスター?と思えるほ
ふぉお利口さんで可愛らしかった。お皿からこぼれたスティック
状のエサをちゃんと咥え、お皿に戻す。何から何まで愛らしく、
お利口さんだった。でもハムスターの寿命は短い、二年でお別れ、
その直前、冬だったがキレイに材料で「かまくら」を作って、
これも超器用で感心した、・・・・・がすぐに寿命が尽きそうで
、目が見えなくなったようで、エサを食べようとするがもう食べ
られなかった。翌日、近場のホテルに家族で一泊したが、帰った
ら砂場で死んでいた。あの場所を死に場所に選んだ、のかと、だ
が死に顔は純情ハムスターだけに本当に安らかだった。亡骸は、
勝手口横の花壇に、翌年春、何故か白い花がいっぱい咲いた。
「あゝ、恩返ししてくれたのかなぁ」と感無量の思いだった。
でも死んで一週間以上は泣けて仕方がなかった。

 329192779_478376921178269_8255081590294132787_n.jpg

 親が死ぬのは高齢ならそれは大往生、祝うべきことで悲しい
ことではない。よくしてくれた親でもそうだと想う。私のように
理不尽に、我が子を憎み(私に対してだけだが)殺意を抱き続け
た「母」が死んでも、安堵はしても泣ける道理はない。捨てられ
た猫たちに手を合わせ、報告した。

この記事へのコメント