フランソワーズ・サガン『一年ののち』1957(邦訳1958)少女趣味のフランス的ムード小説、ほどよい倦怠感

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 フランスの世界的人気作家、フランソワーズ・サガン(1935
~2004) デビュー作「悲しみよ、こんにちわ」が1954,19歳
のとき、その3年後の作品で代表作の一つに数えられる「一年
ののち」Dans un mois,dans un an,である。デビュー間もないか
ら雰囲気は、そのままであると思う。要はムード小説である。

 ジョゼとよばれる少女がいる。25歳で北アフリカにいるとい
う両親からの十分な仕送りを受けてパリの贅沢なアパート(日本
ならマンションというだろう)に居住し、「私は無益そのものよ」
といって暮らしている。

 小説家のベルナールが彼女に野心を持っているが、彼女には
ジャックという医科大学生の恋人がいる。ジャックは粗野で性
的魅力がある青年でジョゼは「森のなかで出会った熊に恋をし
たような気がする」と。

 ベルナールやジョゼはマリグラス家のサロンに出入りしてい
るが、最近、ノルマンディから主人のアランの従弟のエドワー
ルがやってきた。エドワールはまもなくアランの友人、ベアト
リスという若い美人女優に夢中になる。だはもう五十男のアラ
ンもこの女優に熱を上げている。他方でベルナールはジョゼに
対する熱が冷め、また佳作を書きたいとの気持ちからポワチエ
の街に一、二ヶ月滞在のためパリから移った。

 その留守にジョゼはベルナールの妻のニコルから彼女が妊娠
していると伝えられ、また流産のおそれがあること、だが夫は
それらを知らないことを教えられた。ジョゼはニコルに同情し、
ベルナールにそれを伝えるためポワチエまで出かける。だが
ベルナールはジョゼが自分に好意を抱いてくれたための訪問と
誤解してしまう。しかしジョゼは「彼にとって唯一の真実とは
、彼が思いこんでいるこの誤解なのだ」と思い、ベルナールを
愛してなどいないが、「深い共犯の感情」から彼に体を与える。
彼女の人生の二日間をベルナールに与えた。

 一方、ベアトリスはエドワールの情熱にほだされて彼に体
を許すが、別にまたジョリエという劇場支配人が現れて、ジョ
リエは彼女に新sなくの主役の座を与えることで自分の愛人に
しようとする。ベアトリスは愛人となって我が身を引き上げる
野心があり、それを知ったwどワールは絶望し、アランの妻の
ファニーにそれを打ち明け、それがきかっけで彼女と一夜をと
もにする。アランはベアトリスへの恋心を慰めるため、酒に溺
れる。ジョエのポワチエ行きを知ったジャックは怒り心頭で姿
を消すが、ジョゼは学生街を探し回ってジャックを見つけ、再
びよりを戻す。ニコルはやはり流産し、女優のベアトリスは一
躍、人気を獲得、大成功を果たす。予定通り、支配人のジョリ
エに身を委ねる。

 で少女趣味的なストーリーは続き、最後はマリグラス家のパ
ーティーでベルナールはジャックの姿を見つけ、ジョゼに向か
って「いつかはあなたはあの男を愛さなくなるよ、そして私も
またいつか君を愛さなくなる。我々はまた孤独になる、それで
も同じことさ、そこにまた、流れ去った一年の月日があるだけ
なのだ」ジョゼが「わかってるわ」で終わるのだが、・・・・・

 とまあ、なんとも少女趣味、フランス的なムード小説である。
フランスの若い女性って、こんなことを妄想しているのかと、
なかば、あきれてしまうだろう。三角関係が何個もあり、ややこ
しくもあるが、これが若い女性好みのお話なのだろう。どのテー
マも深く掘り下げられず、たまに哲学的なアフォリズムめいた言
句も出てくrが、作品全体が程よい倦怠感に包まれているといえる。
持続的な情熱は何もなく、思想的でもない、まあアンニュイとい
うのだろう、当時フランスではベストセラーになったそうだ。な
んだか、「女学生の友」に載っていそうな小説みたいに思える。
 

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