ドウス昌代『敗者の贈物、ー国策慰安婦をめぐる占領下秘話』、女衒国家、日本の本性とは

昨年、2022年11月18日、アメリカのカリフォルニアで84歳
で亡くなったノンフィクション作家、ドウス昌代さんの代表
作だろう。1979年、講談社から出ている。これは勝者と敗者
の対称の妙、勝ったものは奢り、負けた者は卑屈になって勝
者に媚びて取り入ろうとする。そのような構図を描いたなかな
かのノンフィクションの力作である。
ドウス昌代さんはまず「東京ローズ」で戦時中、日本が行っ
た対米謀略宣伝放送に従事して、アメリカ国籍ゆえに戦争犯罪
人と烙印を押された一人の女性の悲劇を追求した作品で注目を
浴びた。いわば戦争にまつわる秘められた出来事、秘史である。
それがこの本は1945年8月15日、日本は降伏し、日本の占領統
治のため莫大な数の兵士が日本にやってくる、ごくごく一部を
除けば夫人同伴はなく、まして未婚男性が圧倒的に多い、から
降伏後、日本の内務省はただちに進駐軍兵士のための性的対応
、慰安婦の募集を開始した
それがすなわち、敗者である日本が国策として慰安婦という
「贈り物」を貢いだということになる、と作者は見たわけであ
る。贈り物なのか、どこの国でもやることなのか、よくわから
ない。
本書によれば、敗戦後、戦後処理内閣となった東久邇内閣、
「一億総懺悔」を謳ったのだが、「国体」の護持と民間の治安
維持が最大の目的となった。この目的遂行のために先頭に立っ
たのが、警視総監(警視庁トップ)の坂信弥(さかのぶや)であった
という。
坂は進駐してくる連合軍兵士と日本人との間のトラブルを防
ぐために、進駐軍の兵士に女を提供する特別の慰安所の建設を
計画した。まず横浜に進駐軍が上陸してきたとき、本牧やその
他の遊郭から娼婦を集めて、「ヘルム・ハウス」という慰安所
をすでに開設していた。この慰安所は坂が親しかったという、
割烹『嵯峨野屋』の主人、野本源次郎らが中心となって作られ
たというのだ。
日本占領計画で公衆衛生を担当するために、米海軍艦艇のス
タージョン号で日本に上陸したクロフォード・サムズ大佐は日
本のあまりの手回しの良さに驚くとともに、この種の施設は、
まったくの「ありがた迷惑」でしかなく、内心、もっとスマー
トな形での処理を望んだ。だが坂信弥の意向を受けた野本源次
郎らは「国体護持」と「良家の子女を守る防波堤」として、特
殊慰安施設協会(なんでも、臭いものには特殊と名付けるのは日
本人の習性だろうか)さらにこの協会をRAA協会と改称し、これ
らの施設を組織化した。
この本はそのプロセスを詳細に述べて、こうした卑屈な贈り
物が、敗戦という未曾有の時代に直面したときのあまりに日本
的な知恵の産物と、言外で批判しているかのようだ。そのRAA
が役割を終え、そこで働いた人々が四散、散り散りになるさま
までを追って、戦争の勝利者への贈り物という日本人の「知恵」
を浮き彫りにしているといえる。
だが、内務省、警察の手回しの良さ、民間にも呼応する人材
がかなりいたというのは、私は卑屈さ故の「贈り物」というだ
けでは律せられないものがある、と思わずにはいられない。つ
まり日本人に染み込む、性の伝統と女衒的精神である。
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