田中小実昌『浪曲師朝日丸の話』直木賞受賞作、単行本「香具師の旅」収録、あゝ聖田中小実昌
噂に聞いたのだが、昔、田中小実昌さんがこの岡山県の
玉島の町に一定期間、すまれていて、なんという飲み屋だっ
たか、鉄平?だったか、毎夜、顔を見せていたそうだ。
でも年譜には全く、いや田中さんの年譜なんてないですよね。
田中さんは1979年の『浪曲師朝日丸の話』、『ミミの話』
の二作品で直木賞を受賞された。実際、その外見、キャラク
ターから艶笑小話、珍奇な体験談、散々な苦しい行軍、旧制
福岡高校から東大哲学科も「初日退学」みたいなものだった、
「ホットマガジン」なんかにも、面白い人だ!と誰しも思う
だろう、それは半面の真実である。だが、実は田中さんには
エンターテーメントなど不向きなのだ。といって知的な使命
を帯びたエリート的存在は全く願い下げだろうなぁ。本質的
に全く市井の清貧に生きた私小説作家の小山清、名前はド忘
れしたが、あ、浅見淵さんが「聖小山清と呼ぶべき」、その
小山清と田中小実昌さんは共通のものがある、と思えてなら
ないのである。
また梶山季之の雑誌「噂」賞を受賞のコメント、まだ直木
賞は受賞以前で「ぼくは賞状も、どんな賞ももらったことが
ないから、賞と云う字も書いたことがなく、今回、辞書で章
の書き方を調べた」という率直さである。
直木賞の受賞作「浪曲師朝日丸の話」、「ミミのこと」
は戦前、戦中、終戦後、戦後を生きた田中さんの告白である。
よく含羞の何とか、とか言われる文学者がいるが、本当の意
味の含羞の作家は田中小実昌さんである。それか決してエン
ターテーメントではない、両作品とも器用にまとめられたも
のではない。
「浪曲師朝日丸の話」は戦中、中国戦線での戦友の朝日丸
という変な名前の無名人。その根強く、その場にさりげなく
適応し、したたかに生きる無名の人間が流れゆく状況の中で
、さまざまに人生の評価が変わる人生行路の辛酸、私と私の
遠縁の未婚の中学教師,元子との秘めた絆を広島での被爆体
験戸を様々に交差させた私小説である。
復員した朝日丸は無職で素人浪曲師になり、原爆孤児の女
の子を引き取って育てて美談となったが、やがてその子らが
成人してからは11人の娘たちと共通の夫になり、娘たちはス
トリッパーになって朝日丸を扶養するという、結果は醜聞と
なってしまった。朝日丸は意外な成り行きに閉口している。
もう一本の経糸の私と元子との近親相姦めいた情事、戦争以
来、彷徨するようにいかされる自己の姿を告白している。
ともかく私小説的な中間小説の量産は運命づけられたのだ
が、その後、本当に真価を発揮し得たかどうか、疑問は残る
なぁ。「聖小山清」にならって「聖田中小実昌」とあえてい
いたいのだが。
今東光主宰、「文壇野良犬の会」で1973,銀座で
藤本義一と田中小実昌

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