あゝ、百歳の人生でも少しも長くはない
トヨタの豊田章一郎名誉会長が百歳、100歳で亡くなった。
ゆとりと充実のなせる長生き、・・・・・だが何千年生きて
行けそうな超富裕な人も明日の食べ物もないような人も与え
られた寿命は基本的に変わらない、うちの母方の祖母は100歳、
その娘(私の母)は超悪条件で96歳だった、どちらも少しもその
人生は長いとは感じられない、祖母などは「人生は一瞬だっ
た」と最後に慨嘆した。100歳生きても一瞬だったわけだ、そ
りゃ、100歳といって、確かに80歳よりは長生きだが、しょせ
んは五十歩百歩である、若い頃、壮年時代のように動けず、人
に介護などの負担をかけることが多い。生涯、充実して五十歩
百歩の長さでも長く生きて生きがいを追求できるならそれでも
いいが、それも到底、かなわないことが多い。そもそも人はよ
く「100歳まで生きる」とか「120歳まで生きる」なんていうが、
生きるためにか健康とともにお金、生活資金がないと生きては
いけない、何千年生きようが心配ないほどのお金持ち、資産家
なら楽勝だろうが、年金は先細り、生活費、各種負担はますば
かり、長く生きるのはお金の点で無理、というのは自明の理だ。
さりとて名声に恵まれ、使い切れないお金があるような人でも
寿命は基本、貧乏人と変わらない。健康には気を使って100歳
までかりに生きられたにしても、しょせんは一瞬の範疇でしか
ない。この世の起きては冷厳である、しょせん露の世である。
無為無能な人間は、さりとて何万年、寿命が与えられようが
、結局、何もなし得ない。天才的な才能があってなにか偉大な
業績を残そうが、そうなると逆に人生の儚さが襲いかかる、死
ば全ては無である、否、無ですらないというべきだろう。何も
ない、才能に恵まれ、億兆の金を(兆はもてないにせよ)、「あゝ、
永遠の命が欲しい」と悲痛な叫びを上げようと、現実、その命
は100歳にも遥かに及ばないことがほとんどだ。
私は幸いに全くの非才、無為無能の貧乏人だから惜しむもの
は実際、何もない。・・・・・なにもないのだが、ここからが
問題というもので、終わった、と思うところから人生はまた
始まる、という悲愴な真実である。
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