トーマス・マン『選ばれし人』1951,罪の心理学を形而上学的に問い詰める、難解である

さて、トーマス・マン『選ばれし人』 Der Erwalte,1951、
実際、ドイツ人らしい難解な読み物である。ギリシャ神話の
オイディプス王の物語は有名だろう。テーベの王ライオスと
、その妃イオカステとの間にオイディプスという男の子が生
まれたが、ライオスはその子が父を殺し、母と近親相姦する
との預言を聞いてその子を山に捨てる。捨てられたオイディ
プスはコリントの王に育てられ、アポロから故郷に戻るとい
う神託を聞いて、コリントが故郷と誤認し、テーベに向かう
が、途中で偶然。父ライオスの一行に行き会って争い、ライ
オスを殺す。テーベの怪物、スフィンクスがその出す謎を解
き得ないものを殺すというのでテーベの王妃のイオカステは
スフィンクスの謎を解いたものには王位とわが身を与えると
云った。オイディプスは謎を解き、母とは知らず、イオカス
テと結婚したが、やがえテーベに悪疫が流行、それは先王に
対し罪をなした者ゆえ、その罪が自分にあるとわかり、己の
両目をえぐり取って娘に手を取られ、流浪の旅に出る、という
お話である。
13世紀初期に死んだ、ドイツの詩人ハルトマンは叙事詩「
グレゴリウス」を書いた。材料は基本はオイディプスの伝説だ
が内容をかなり変えて、兄妹が交わって男の子を産み、その子
は成長し、母とは知らず母と結婚し、これを知って苦行者とな
って、懺悔し、やがて徳を積んで聖者となり、教皇になる、と
いう話である。ハルトマンはこの話のヒントをフランスの古い
叙事詩「聖グレゴワールの生涯」に仰いだという。好き者の
心理学者がいうように、エディプス・コンプレックスは人間の
根本的な衝動であり、「聖グレゴリウス」も古代・中世の根本
的なテーマであったという。霊魂と肉体との相克葛藤を追求し
たトーマス・マンが芸術と人生、衝動と理性の対立を一音楽家
の姿に託して描いた悲劇小説「ドクトル・ファウスト」1947の
のちに、この材料を手掛け、1951年に「選ばれし人」をか発表
したのも不思議ではなく、またこの作品後に「欺かれた女」、
子宮の病の出血を生理の再来と喜んで24歳のアメリカ青年に恋
する54歳のドイツ人女性を描いたのもまた自然の成り行きとい
うものか。
その「選ばれし人」Der Erwalte,aはウムラウト、だが、ドイツ
のアレンマンネのザンクト・ガレン修道院に滞在している、アイ
ルランドのベネディクト派の僧クレーメンスという人が書き遺し
た物語のようになっていて、フランダースとアルトウワを治めて
いたグリマルトという大殿様に双生児のウィリギスという男子と
ジビュラという女子が生まれ、母は産褥で死亡、グリマルトが卒
中で他界した日に、子供時代から同じ部屋に寝起きした兄妹が近
親相姦する。「選ばれし人」の訳者は該当箇所の翻訳をこういう
風にやっている。
「しないで、だめよ」
「しよう、何だかわからいけど、どんあにうおいことか、しれ
ない」、「とてもいいことかしら」、「すればわかるよ、してみ
なければわからない」、「mぁ、ウィロオ、どんな武器なの、、私
を殺すの、あゝ恥ずかしくないの、種馬そっくりよ、まるで牡山羊
だわ、雄鶏だわ、あ、どいて、あ、行って、続けて、ああ、天使の
ようなあなた、あ素晴らしいお友達」
トーマス・マンもいい年してよく書けるものと呆れるが、兄妹の
間に子供が生まれる、それがグレゴールである。罪を悔いてウィリ
ーギスは旅に出て、ボジュラは摂政で国を統治し、グレゴールは捨
てられるが。エディプス伝説の通り、グレゴールはのちに知らずに
母と結ばれる、子供もできるが、その後、自分は捨てられた子であ
り、兄と妹の子であり、また自分が母であり、また伯母でもある女
を妻としたこと、を知った。母もそれを知る、友に別れて懺悔の生
生涯に入り、グレゴールは湖の中の島に住み、長く苦行をなしたが、
二人のローマ有力者がこの島の苦行者を夢に見て、これを神託とし、
教皇とした。つまり神によって「選ばれし人」というのだ。
まあハッピーエンドともとれる。しかし現実に罪がこのような
ハッピーエンドで終わることはあまりない。トーマス・マンは罪の
心理学と形而上学を展開させて、罪の真の姿を探っている。
このドイツ語原文は非常に難解だという、翻訳文も易しくはない。
一般の日本人が読んで、……さて、得るものがあるだろうか。
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