三島由紀夫『喜びの琴』文学座上演拒否事件、三島の正当化にかかわらず露呈した三島由紀夫の「右翼」の本音

まず根本的に、三島由紀夫こと平岡公威がなぜ、あれほど
右翼趣味に、あくまで趣味なのだが、右翼趣味にすり寄った
のか、である。経歴的には戦前、「学習院」の初等科から高
科まで在籍してそこを卒業、戦前だから学習院は当然、近代
天皇制のもとの学校で皇族華族のしてでなければ入れない?
という世間の誤解にひたった、戦後、徴兵にすら応じなかっ
た三島があのような右翼の、帝国陸軍に憧れ、切腹に憧れ、
近代天皇制に染まり、・・・・・・だが学習院は貧農出身で
あろうと立身出世を遂げたら子弟を学習院に入れる事が可能
な「庶民枠」があった、その「庶民枠」の中にいた三島由紀
夫なのであるが、中等科に入る前、有名私立を受験してい落
知多という事情もあるわけである。英米法の教授(神戸大学、
専修大学など)で東大法学部で学籍番号が三島、平岡より一つ
前だったというは早川武夫先生は「端的い言うなら、戦前の
学習院にいたという世間の誤解を徹底利用した男が三島由紀
夫である」と喝破されていた。無論、全くの貧民でも超右翼
になるものはいるから、別に学習院は無関係、と言えなくも
ないが三島は「お公家さんですか」と人に聞かれるほど、で
全てお芝居であった、・・・・・その三島の右翼傾斜が露呈
したのが文学座「喜びの琴」上演拒否である。
文学座の演出部員の一人だった三島由紀夫は17本目の台本
『喜びの琴』全三幕が上演中止となった。昭和38年、1963年
11月28日である。
カンカンに怒った三島が11月23日、電話で文学座の戌井理事
長宛に、脱退の申し入れを行い、中三日あけて朝日新聞に一文
を寄稿した。
で、その21日、三島の自宅で文学座企画委員会、の鈴木力衛、
鳴海四郎、安堂信也、松浦竹夫と三島の間に証文が取り交わされ
れた。それは
「文学座が思想上の理由により、この戯曲の上演の中止を申
し入れ、三島由紀夫が応諾した」旨を書き記し、双方が署名し
、捺印したものだ。
その日、上演中止の決定を携えて、企画委員らが三島邸に到
着したとき、すでに毛筆、硯、墨、朱肉が用意され、それぞれ
慎重にサインした上、指印を押すことになっていた。こどもっ
ぽいが、これが三島の流儀に叶うものだったのだろう。
その後、三島と行動をともにするかのように、松浦竹夫、矢代
静一の二人も文学座を脱退した。さらに数人の俳優も脱退かとも
噂された。
『雲』が分裂して、さらにだから「文学座」ばかりなぜ、とい
う同情の声が上がったのだが、では『喜びの琴』とはいかような
作品か、短編『憂国』以来かどうか、右翼的傾向の、しかも美学
的右翼傾向の強まる三島の進路!を決定的にしたともいえる騒動
だったのは事実だ。
『喜びの琴』の大まか内容はなにか、
時:近い未来のある年の一月
所:都内某区本町警察署の二階一室
人:警察署長、公安係長の山田、公安巡査部長の松村、同巡査の
片桐ら21名の巡査、他に掃除夫、雑誌記者、協力者、学生二人、
「国家機密保持に関する言論等規制法」が国会に提出で世情は
騒然としている。
そんなとき、片桐巡査が一枚の紙片を拾う。一二一二四五という
数字が書かれた紙片、
これは1月21日午後2時45分に総理大臣が1月21日、言論規制法問題
で上越方面に遊説に行く、午後2時45分という時刻は総理が乗る特急
「越後」が高崎を出発する時刻と同じである。同時刻、高崎の右翼団
体が上越線を見下ろせる、さる小屋に集合するという情報が入った、
片桐はその小屋に急派されたる。列車転覆事件が起こり、死者が出る。
片桐は小屋から無縁送信機を発見、本庁に届けた。新聞は「極左の破
壊行為の疑い」と書く。片桐はこれを否定する。右翼が集合し、送信
機をあやつって列車転覆を行ったと確信する。
だが真犯人として手錠をかけられたのは、右翼の集合情報収集にと
片桐を派遣した上司の松村だった。
犯人は日共から分離した派によるもので、松村が秘密党員とし
関わっていた。右翼の仕業に見せかけるように周到に作戦を敷い
た。信頼したいた上司の松村の逮捕を聞き、片桐は混乱する。
こうした事件の後、片桐は、コロリンシャンという静かに澄んだ琴
の音を聞くようになった。天上から降る至上の琴の音、幻聴ではなく
、真の音として片桐は聞き入った。
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だが、右翼の犯行に見せかけた日共からの分離派、一味の仕業、こ
の政治性に文学座は揺れた。不安を感じつつ、稽古に入ったが中止を
決めた。
三島は公開質問状でこう書いた
「反共の信念に燃える若い警官が、反共の信念を吹き込んだ信頼す
る上司が。実は左翼政党の秘密党員であったこと、その政党の過激派
の策謀による列車転覆事件で一役買ったのみか、自分も利用されてい
た。悲嘆と絶望、思想の絶対化に生きた青年は全ての思想の相対化の
孤独に耐える為幻の琴の音にすがった・・・・・」
ではどなんセリフなのか?
記者の質問に片桐巡査
「わかりきってるじゃないですか。国際共産主義の陰謀ですよ。あい
つらは地下に潜ってでも、世界中、いたるところに噴火口を見つけよう
と伺っているんですよ。もしこのままほしいままの跳梁を許したら、日
本はどうなりますか。日本国民はどうなりますか、われわれががっちり
見張って奴らの破壊活動を芽のうちに摘み取らないといいですか、いつ
か日本も中共みたいに、同じ血の粛清が吹きまくるんです。地主の両足
を二頭の牛に引っ張らせたりのような。妊娠八ヶ月の女地主の腹を主婦
に踏ませて殺す、・・・・いい加減な人民裁判の結果ですよ。中共では
十ヶ月で一千万人以上の人が虐殺されたんです・・・・・・」
滔々と右翼的、反共的言辞が続く。上はほんの一例であり、三幕全て
で反共的言辞が荒れ狂う。
実は当時までは表向きは政治的には中立としていた三島がなぜ、だ
が本音が出たとしか言えない。三島はいいう
「思想と心情、これが私のテーマです。作品を深く読んでもらえば分
かります。私が『喜びの琴』で思想劇を描いたのではなく、政治思想が
本当に人間の本質なのかどうか、という私の疑問を描いたものなんです。
たしかにショッキングなセリフで芝居は続けられる、私は実は十分計
算していたんです。セリフを訥々たる九州訛で喋らせる、そうすると観
客はある余裕を持って聴けます。できるだけの反共的言辞を尽くし、
最後になってひっくり返す、そういう十分な計算をしていた」
「これを上演してご覧安なさい、誰がどう言おうと、『芸術だ』で、
突っぱねられた、これ一本やっておけば今後、どんな左翼的な演劇も
上演できたんですよ、そういう巧妙な戦術を私が教えてあげたんですよ。
それを松川事件を思わせる、といわれたらこっちがガックリしますよ。
観客同士が論じ合い、取っ組み合いするくらいの演劇があっていい、フ
ランスなんかそうですよ。
文学zなお中心にいる杉村春子さんから直接、いってほしかった。
愚痴になりますが」
杉村春子さん

「何ごとも試練と思っております。全員でこの問題を話し合います。
そして方向を見出します。それまで時間を下さいませ」
だが三島のゆう「戦術を与えてやった」は嘘だ、あの馬鹿らしくて
読めない「文化防衛論」を思えばいい、反共の超本音がでたわけである。
誰も共産党は好きじゃない、でも右翼反動も嫌いである。これこそ常識
だろう。
同時期、問題化した国内で初の「プライバシー裁判」で話題を巻い
た「宴のあと」事件、と比べ、作品の芸術性、品格、節度という点
で「喜びの琴」はあまりに品格を欠如し、あの冤罪の「松川事件」
の検事の作文を彷彿とさせる散々な内用である。文学座、杉村春子
さんの決断は常識であり、これで三島由紀夫と縁が切れたことは幸
いであったとしか言いようがない。三島の暴走はその後続き、見て
のとおりである。
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