永井龍男『夕ごころ 雑文集』1980,著者の文学観の到達点か
永井龍男さんは1904~1990,その人生で1980年の刊行、そ
れまでの随想を集めたである。ただし晩年における随想である。
まず、日本の文章は短いほど深みが増す。13篇を収録してい
るがどれも短い、最長、4ページか、1ページのものもある。い
たって味わいは深いと思う。別に本書で永井さんが「日本の文
章は短いほど深みが増す」と書いているわけではないが、そう
思わせるものがある、ということだ。俳句はその典型か、そう
云えば永井さんは俳句も相当にやっておられ、選者もやってい
た。
また感じるのは、本は一気呵成に読むのが必ずしもいいとも
いい難い、もちろん本の内容にもよるが、じっくり味わい、行
きつ戻りつで拾い読みも悪くはない。一気に読んで忘れる、で
は惜しい、ということだ。そんな本もある。
冒頭の「風車」。池の魚を狙う鳥から金魚を守るべく風車を
買う、身辺雑記、回想を記したものだが、それぞれが、象徴的
な意味を持っているような感じがする。
単なる凡人が70年生きようがさして感性の深化もないだろうが、
永井さんの70年近い文学生活の果にだから、文章はある意味、極
致かもしれない。別に70年という長さ自体をとやかく言う意味も
ないとは思うが、さすがにどの文章にも人生の真実の断面が見え
ているようだ。
といって人生の断面はきれいごとでは済まない。精神を刺すよ
うな趣もある。人生の断面のなかで空虚な調べがする抜けるとい
う風情だろうか。
随筆と入ったが単なる随筆でもない、くどくど書いているよう
な随筆も多いが、この本の文章は物事を正確に書き、正確に叙し
ていく。それで含蓄を増す、細い一本の道を歩み続けた果という
感じである。
要は、この文章、永井さんの文章は、日本的なものの良さを凝縮
したものであろう。鋭い目配りも忘れない「嫌犬権の主旨」などは
それである。「井戸の水」、「夕ごころ」といった短文は人生の、
生活の思いを織リ進むようだ。「魚河岸春夏秋冬」は勝手の日本の
日常への、じつは追求だろう。
また交際した文学者たちの回想もある。井伏鱒二、河上徹太郎ら
、勝手の仲間との出会いを描く「ある同窓会」また「里見さんの家」
、永井さんの文章は淡々としているようで実は鋭いものがある、回
想といって凡俗に陥っていない。
永井龍男、服部良一、丹下キヨ子、水谷良重、中野実、水谷八重子、
水の江瀧子 昭和30年
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