まずは今年に全てをかけます、何をやるわけじゃないが

  IMG_1664.JPG
 2月は逃げるとは云うが、私には2月は妙に長く感じられ
る。暖かい日もあるが、やはり寒いからいやでも長く感じら
れる。が、ともかく何とか明日から3月である。私の本音は
、ともあれ、今年にかける、今年が全て、というくらいの気
持ちである。さりとて、何をやるという予定があるわけでは
ない。今年で終わりというわけでもない、だが本当にバリバ
りやれるのは、今年を措いてない、くらいの気持ち、だが、
さほど予定はないというのが我ながら奇妙だ。要は今年が大
きな区切りの年、という意識が強いからだろう。

 思えば、人生の来し方を振り返って、我が人生は異常な環境
に放り込まれたことから始まる。その結果、数奇な人生が延々
と続く羽目になった。人生は短い、だって電卓で、電卓アプリ
で1から始まる+1=の演算をやっていったら100はすぐだ。
あきれるほど人生は実は短い、まず70歳から100歳までの間に
実質、全員死ぬことになる。何千年生きてもいいくらいの金や
資産があっても、貧乏人とこの原理、運命は変わらない。本当
に短いが、同時に、これが問題なのだが、わまりに災難、苦難
、苦渋が多すぎることだ、あまりに質量が充填された中性子星
みたいだ、・・・・・だが全ての人がそうか、と云えば違う。
私に大いに特有なことである。

  正直、負け惜しみのようだが、人生に勝者も敗者もない、
ただ生きること自体が生きる手柄、という思いである。世間の
つまらない価値判断に左右されることはない。生きるのは自分
である、生きること自体に全ての目標が繰り込まれる、繰り込
み理論で生きるしかない、というのがわびしくも実感である。
落胆かと云われたら、落胆である。それは仕方がない、あれだ
気の膨大な勉強時間の挙句、得られたものは何であったか、で
ある。才能の乏しさを思い知っただけではないか、である。常
識的に云えば、無為無能なものにさほど生きる意味もない、見
いだせない、何も創造し得ない、・・・・・やれやれ、生きた
意味などなかったにしても、その無念さを今年をまず目標年と
してやりぬく、・・・・・それも悪くもないかろうと、思って
いるのである。無為無能な、才能と無縁な凡人以下の人間でも
生きたことがただ生きる手段の結果であったはならない。その
矜持だけで生きているということである。

この記事へのコメント

タナハ
2023年03月01日 15:37
お疲れ様です。

いつもご謙遜なさっていますが、先生は世間一般的には
どう見ても勝者、成功者の側にいらっしゃると思います。