水上勉『棺の花』1961,スリラーとして佳作だが、犯罪がペイし、何とも後味が悪い

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 私が水上勉さんの作品の作品を読んで、どうもいつも感じ
ることは、「後味の悪さ」である。不幸な、社会の底辺で生
きる人間の哀切を描く、その不幸さが半端ではないから、結
果として後味が悪い、・・・・この作品については犯罪が十
分、ペイしているので猶更のこと、後味が悪い。

 まあ、その後映画化もされたこの作品だ、細かなあらすじ
は「不愉快」な内容なのであえて書かないが、思うに、文学
の持つ一面として現在の道徳への挑戦という意味合いがある
のではないか、小説は作者の精神のカタルシス、いわば「憂
さ晴らし」である。それはある意味、当たり前な話だが、そ
れも突き詰めたら、その時代の道徳への反逆というケースも
ある。

 自分と社会の間に別に何の軋轢もなければ、あるいは文学
など、さほど必要でもないのかもしれないが、しょせん人間
の精神は容易に静まって安住の地を簡単には見出し得ない。
そういうことも、執筆動機に十分なるだろう。小説の中で、
道徳的な悪は文学的価値とは基本は無関係である。といって
犯罪が善となる時代も来ることはないはずだ。だが道徳の価
値感の対決はまた文学の大きなコンセプトたり得る。要は「
悪」といって「悪」の性質である。その性質は万華鏡?のよ
うでもある。

 ところで推理小説、スリラーは娯楽小説とみなされてきた。
娯楽だから、あえて道徳に背くこともある。だが反社会的で
あっていいはずはない。最終的に、誰が何と言おうと、正義、
公平の理念にかなわねばならないと思う。ただ文学作品とな
ると単純ではない、ポーの作品など、どう評価すべきだろう
か。成功した完全犯罪は話としては面白い、にしても、根本
部分で正義に叶わねばならない、と思うのはどうだろうか。
高木彬光に「白昼の死角」の鶴岡七郎、窮極で正義にかなっ
ているだろうか。だが、やはり成功した完全犯罪は到底、フェ
アとはいい難い。『棺の花』の読後の後味の悪さは、まさしく
これである。

 『棺の花』は実際に起こった事件をもとにしたものだとい
う。モデルとなった人物は完全犯罪後、社会的な活動を行っ
ている。そこらに配慮したのだろうが、別にルポルタージュ
ではないのだから実際に束縛されることもない。犯罪露見の
伏線は作品中のいくつか仕込んであるようだ。だが続編は出
ていないと思うが。

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