子供をいじめて得なことは何もない、なぜ毒親が存在する?
この世は毒親という非常に好ましくない親が少なからず
存在している。しかし同じ家庭で過ごし、老いたら世話に
なる子供をいじめて、何一つ得なことはない、ことは明らか
なはずである。幸福とはまず家庭の幸福である、日々、温か
い、平和な家庭で生きることは何よりの幸福の条件である。
だが、あえて家庭を地獄としてそれを快楽のように考える
親がいる、それは毒親だが、なぜそのような外道が存在す
るのか、である。毒親は「子供をいじめて得はなく、その
シッペ返しは必ず将来起こる」ことをまるで考えようとも
しない、・・・・・私の「両親」が悪い意味で特別だった
のは事実で、しかも宇宙開闢以来というレベルだったとし
か受け取れなかった。
毒親は基本的に、自分は子供には絶対的な権力者、支配
者であるという思い込みがあることは共通している。あの
「母親」も終始一貫そうであり、自分が棺桶に片足を突っ
込む年齢でも変わりはなかった。
「母親」を考えるとごくごく私が幼い頃から、激しい虐待
を私に繰り返し(兄にはそれは一切なかった)、暴力も繰り返し、
私への脅しを生涯続けた。私が三歳頃から、ずっとそれも波
はあったが、「母親」が92歳になってまた「生涯のコンセプ
ト」が暴発し、それが結局、墓穴を掘る事になった。類例も
ない惨めな死を迎えた。私は別にそれに関与ししていないが、
さすがに救済しようという気は起きなかった。
三歳過ぎからもう私を激しく虐待した「母」でそれを見た
叔母(父の妹)が大阪に当時、住んでいたが、帰ってそれを目
劇し、半年近く、東淀川駅近くのアパートい預かってくれた。
休みには京都や心斎橋、角座などにも連れて行ってくれて、
幼い時代、本当に夢のような思い出だった。だが家に戻れば
また地獄が待っていた。
それにしても我が子をもって、子供をいじめ、虐待など
、そもそも想像すらできない、子供への愛は無償の愛である、
子供には無償でその幸福ために微力でも尽くさねばならない、
それだけである。しかるに、私の両親、とくに「母親」はな
ぜ毒親を極めたのか、である。
端的に言えばそれは遺伝的、精神的な素質であり、その父親
の虐待癖を受け継いだものといえる。だからあの祖父も私を憎
み、いじめた。クーロン人間のような祖父と母親で、本当に
「悪い性格」だった。子供みれば憎い、それも特定の子供に対
してである。その特定の子供をいじめ、脅迫し、不幸に導くこ
とが「快楽」なのである。基本的に子供は踏みにじって当然、と
いう考えである。到底許せる者ではない異常性格である。普通は
そのような親は少ない、あのレベルの毒親は空前絶後だろう。
つまり毒親が子供いじめる、脅す、虐待するのは基本的な悪い
性格、生まれついた悪い性格の結果としか思えない。家庭の平和
を求めない、喧騒の地獄の家庭こそが落ち着ける精神状態という
ことで、いじめられる身にすればまさに迷惑では済まされない話
である。
祖父と母親は非常に似ていて、長男と次男に対する態度も同じ
といえた。憎いのは次男、ということである。私が神戸大学二年
の冬、はじめて新築の実家?に戻ったら、さっそく母が兄を連れ
て「この家は長男の結婚のための家だ、お前は敷居をまたぐ資格
はない」、普通の親はさだましの「案山子」である。このエピソ
ードを人に語れば、「ちょっと世界中でもいないだろう」とあき
れた顔をされた。これは一例で、一事が万事である。
なぜ毒親は結局は損になる子供いじめ、虐待をやるか、といえ
ば最大の要因は生まれ持った悪い素質、性格としかいえない。例
えば子供の学校の成績が悪いからといって親は「次、頑張れや」
と励ませばいいだけで、それで虐めるなど想像すらつかないこと
である。子供を虐める理由など絶対にないのである。
長男が家を出て疎遠となったため、仕方なく私と母の二人三脚
の生活が続いた、それは30年以上も、だが最後の最後で、遠方に
住んで毎週通う、恨まれる道理もない私に生涯のコンセプトが
母?に噴出した、それは結果として「母親」に人生の最後のステ
ージでの地獄を招く羽目になった。私はノータッチだったが、も
はや完全に精神的には絶縁していたから、あえて救いの手は延ば
さなかった。自ら招いた地獄を、また最期まで自覚も出来なかっ
た「母」であった。次男への理由もない憎悪に殉じた、まったく
バカな話だが、・・・・人生だった。子供を虐待して、いじめて
何一つ得はなく、結果はとんでもない不幸が待っているというこ
とである。いじめられた子供も本当に不幸を押し付けられたこと
で損害は計り知れない。
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