石川達三『四十八歳の抵抗』1956,「ファウスト」に倣っての老人化絶望の悲劇、『ファウスト』の入門書にもなる?
石川達三は明治38年、1905年生まれだからこの作品の発表
時点では50歳くらいだった。執筆開始はその前だから48歳と
なっていたのだろうが、今、思えば私などから見たら48歳な
ど子供みたいなものだと思えるが、だが当時の現実はかなりの
年齢と見なされたのだろう。
この作品の趣向はあのゲーテの『ファウスト』に倣った、そ
れからの思いつきだろう。ファウスト時代はドイツの伝説的な
人物!で多くの文学者が作品化して、他例えばトーマス・マン
も書いている。ともかくゲーテの『ファウスト』からの引用が
数多い。
「本屋で『ファウスト』を買った日から、奇怪な運命に引き
ずり回され」ている主人公の西村耕太郎は無論、ファウスト博
士ほどの大学者ではなく、一火災保険会社の次長である。ファ
ウスト博士は、何の価値もない学問に一生を捧げたことを悔や
み、自分の力に限りあることを歎くが、西村耕太郎はこれまで
保険会社の仕事を後生大事に務め、妻を守ってまず実直な生活
を送ってきた、……ことを今になって後悔し、このまま人生が終
わってしまうのを歎き悲しんだ。
ファウスト博士は老人になってしまったのを絶望し、悪魔の
メフィストフェレスにつけ込まれた。西村は48歳になって体力
の衰えを実感、やるなら今のうち、と浮気心を掻き立てて、そ
れなりの小悪魔の誘惑にひっかかった。
彼の小悪魔は会社での彼の部下で、製菓会社の受薬の息子で
ある。メフィストフェレスがファウスト博士に魔の薬剤を飲ま
せ、酒宴の場所や魔女の住処に案内したり、美しい処女と恋を
語らせたり、のようにこの小悪魔も西村に怪しげな回春薬を飲
あせたり、心を惑わすような場所に連れていき、さまざまな女
に会わせたりした。
善人で小心な西村は妻に済まないと思いつつ、。あちこち連
れ回されて、いつもあやうい所で踏みとどまる。
『ファウスト』には「マルテの家」というものがあり、ファウ
スト博士は美しい処女マルガレエテに会って恋心を燃やす。彼は
同じバーで、ユカちゃんという19歳の娘に惹きこまれる。はじめ
は「ただその清潔さを愛し、初々しさを愛した」が小悪魔に翻弄
されて「その時、女がどんなふうに崩れてみるのか、それを見た
いという欲望が彼の胸の中で熱くなっていった」若いものと違っ
て「五十近い中老人は恋愛は即性欲になる」正直、50で中老人と
はあたしは到底納得できないし、その性欲への言い分も首肯でき
ないのだが、作者はそう考えた、まあ時代かな。
ついに熱海のホテルに連れ出しに成功するが、抵抗され、かえ
って小娘から諭される結果になる。
『ファウスト』には悪魔と神の争いが書か彼は「一人の少女を
犯さなかったことをやはり良かったと思い、もし罪を犯したら」
今後の人生はさらに悲惨となっていた、と思い返す。全てが中途
半端ながら、それが「神の救い」であったと思い、妻のもとに帰
る。
当時はm、ああ昭和30年、1955ほどの時代、社用伝票で遊興費
をひねり出すは常套化していたのやら、回春薬を漁るとか、でも
保険会社の内情をもっと書けば面白かった気はするが、保険とい
う仕事で主人公の心理を説明したり、小悪魔を製薬会社の重役の
息子としたり、魔性の薬剤を用いるにたやすい状況設定している
ようだ。まあ作者はそこらを抜け目なく計算だろうが全てガミエ
ミエみたいな感じ。小悪魔にところどころで、処世訓を言わせる
のも手馴れている。これは新聞小説だったから毎回、それなりに
愉しく興味をつなげるという意図は明確だ。
さて、48歳の抵抗、石川達三の実態も反映なのだろうか、正直
48歳で中老人とされては、たまらない。妻の記述がいい加減すぎ
て不十分だと思う。マルガレエテのお姉さんの素性も不明確すぎ
る。まあ通俗小説でありながらゲエテの『ファウスト』の卑俗な
入門書になっているのは最大の救いである。
この記事へのコメント