大江健三郎さん死去、際立つヒューマニズムと理想主義、時代意識、真のアヴァンギャルド

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 そうか、大江健三郎さんが亡くなられたか、本当に次々と
著名な方が亡くなられるが、大江健三郎さんの存在意義は格別
である。そのヒューマニズムに基づく時代における問題意識、
それは社会的行動、発言に必然的につながった。その小説は
非常に実験的、・・・・・・というのが果たして正鵠を射てい
るのかどうか、既成の伝統、因襲にとらわれない、まさしく、
アヴァンギャルドな作風だった。それは賛否を詠んだし、旧来
的な価値観の作家からは不興も被った面はあるが、それらを、
もろともせず、難解に見えるが思い切った発想と構成の、時代
をえぐるような作風となった。といって私は正直、なかなか読
み解く能力も乏しく、さほどその作品は読んではいない。ただ
もう高校生、か「ヒロシマノート」平和主義の理念の横溢、危
機感にかられての切迫性のある文章、問題意識には心打たれる
ものがあった、小説ではタイトルに惹かれての「われらの時代」

 だがつねに大江作品は時代に先んじる、アヴァンギャルドな
のだ、旧来的な価値観では谷崎潤一郎が「きみは文章が悪い」
などと云われても、それに臆せぬ時代意識、問題医師が常にあ
った。

 「われらの時代」

 「若い日本の人間には、、未来などない。かれらは猶予の時
間をすごしている。やがて執行される時を待って独房に坐って
いる。なにを執行されるのか分からない。とにかく執行は他人
まかせだ。おれたちが決定するわけじゃない」

 主人公の康男のこの言葉が、実は書き下ろし長編のモチーフ
である。その希望のない執行猶予の期間青年が熱中できるもの
は何か、そこから個人冒険主義が炸裂し、アラブの反フランス
運動や民学同などの「連帯主義」が対立された、主人公はそれ
に拘束されることを欲しない、「おれにとって唯一の行動は自
殺だ」と知るが、自殺もなし得ない。「そこでおれは生きてゆ
く。遍在する自殺の機会に見張られながら、これがおれたちの
時代だ」

 ギクシャクしすぎている、問題意識がなお未成就だろうか、
だが構わず突き進む、精神的なたるみはない。

 「われらの時代」と「ヒロシマノート」は私の実は多くは
ない大江さんの作品の愛読書である。

 日本が基本的に非常に保守的な国であること、だからこそ
大江さんの存在意義があった。流れに流されない、空転しそ
うでいて実は地面にガッチリ根付いている、それが大江さん
の文学、根底は時代の問題意識と理想主義だ、・・・・・

 でも寂しい限りである。

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