川端康成『風のある道』1,959 冷たく淡々と描かれる。川端らしい「千代紙細工」か

これは日活で映画化された作品だが、その原作はあまり読ま
れていない。作品としての知名度は高いとは言い難い。
一人娘だった宮子が、病弱な母をかかえており、別段婿養子
でもないが結婚しても実家に母と居住、夫も無論、家にいて、
三人の娘が次々と生まれた。
長女はファッションモデルで結婚し、地味で思慮深い次女に
も恋人はいる。短大に入った末娘も、いつの間にやら縁談の話
が持ち込まれていた。夫は小規模な機械会社を経営しており、
お手伝いさんは使ってはいないが、山の手の裕福な家庭である・
だが第二の思春期、というのか、更年期に入った宮子は精神
面が不安定で、昨日までは何の疑問もなく、夫と夜の生活が三
年間は別室でなかったのに、それが身悶えし、寂しくやるせな
い。夫は女がいるようで妻には無関心で平穏な日々である。そ
れを典型的な中流家庭?というのだろうか。中よりは上に思え
るが、まあ中流だろう。
宮子は夢で長女の婚約者に抱かれて苦しむ。次女の恋人が家
に来ても胸がドキドキする興奮を覚える。娘たち三人はそれぞ
れの道を歩むが、こういう娘たちに戸惑って、夫の浮気で泣き
を入れてくる長女にも意見は言えず、ひたすら心配だけという
、古いタイプの女をテーマにした小説と思われる。いくら当時、
でも妻として、母として、はっきり意見を述べるくらいは常識
だったのではないかと、疑問も湧く。
つまるところ、どこの家庭も外から見たら問題もなさそうだ
が、中に入ると結構、すきま風が吹いている、ということだろ
うか。そっけない筆致で雰囲気は出ている。親と子、夫婦間、
恋人の間でもそういう、ぎくしゃくはある。ぱっと派手な結婚
の長女よりは、愛する人は近づきにくく、多くの迷いを持って
行動のほうが真面目と云えば真面目、末娘はドライで善良。三
人の娘はそれぞれ時代のタイプを表しているようだ。
全体にさしたる事件はなく、登場人物は多いが、だれに集中
するでもなく、とりとめなく流れていく風情だ。それを稲垣足
穂のように「川端なんか千代紙細工や」と云うなら、千代紙細
工だろう。なにか小説に感動を求める人には、ちょっと物足り
ない作品だろう。それを川端らしいというのかどうか。
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