室生犀星『好色』1962、犀星、最晩年の文章を集めたもの、断章なれど個性は光る
室生犀星は昭和37年、1962年3月26日に72歳でこの世を去
った。それからまもなく、筑摩書房から刊行された犀星の最
後の二年間くらいの文章を集めたものだという。1962年8月
、古書として例えば「日本の古本屋」サイトに多くの出品が
ある。
本のタイトル「好色」は地方新聞に連載されたものだが著
者の死去で21回で終わってしまったものだという。「書き始
めは金沢を舞台にし、三分の二くらいから恋愛を扱うつもり」
だったそうだが実際、ほんの序の口というか、で中断し、と
くに感想も持てない。
さらに「明治の粧ひ」小説である、「夜ばかり見る女の顔
は、明治の終わりの街の暗さの中では、ほとんどきらめく眼
と、いくらか顔だけが大きく見える世界であった」とかいう
、なんだか、つかみどころのない表現が多そうで、難解な小
説と云わねばならない。
それはそうとして犀星が全詩集を編んでいたときの感想を
述べた「古い雲」以下の二十数篇の短い文章は、最晩年の犀星
の生活や心境が伺われるというのか、なかなか興味が湧きそう
だ。
「誰が言うともなく、悪文は私のずるい素性であるとされ、
悪文家の称号が私につけられた。文体をつくるのに矢鱈に形
容詞やら譬え話らを荷車いっぱいに積んで、文章の拙さを、
誤魔化していた四十何年かの間に、美辞麗句の類もおおかた
売り切れてしまい、荷馬車はがらがらになって後ろ向きに坂
を下りはじめた」という自嘲の文章もある。
著者が若い頃から愛用した麦わらのカンカン帽、その文章
「大学に入るあてのない私にとって、学帽の徽章を見るた
びに、早くも人間の生い立ちに就いて、運命にどやしつけら
れていたのである。私が大学を出ていたら、おそらく今の倍
以上の仕事をしたであろうし、多くの作家のように大学を軽
蔑なんかしていない、いまだにいたいけな憧れさえ持ってい
る」なかなか胸を打つ告白だと思う。
芥川について
「芥川と話していると、こんあ出来の好い男が、斯様に朴
と打ち明け話をしているのは本気なのか、つねに一杯食わさ
れている程度にあしらわれているのかと、私は疑ったことも
あった」なるほど、でも芥川はそうじゃないよと言いたくな
る。
少年時代、解禁前に鮎を釣って交番に連行された思い出か
ら。巡査や裁判所の犯人たちについて書いた感想も面白い。
犀星の作品では重きをなさない文章、断章だがなかなか犀星
の面目はよく現れてるような気がする。
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